井戸埋め祓いで初めて物悲しさを直感した話
本日、以前地鎮祭を御奉仕させて頂きました、青森県三戸郡五戸町のS様邸敷地内にある井戸埋祓いに伺いました。
今回は井戸といっても水を汲み上げるのは管で行っていて、井筒の様なものは組み上げた水を溜める為に作られたもののようです。
管は直径10cmあるかないかのもので、そこに蛇口が付いていたようで、直接中に梅や葦を埋納するのはできない状況でした。
式次第としては通常通りでありましたが、埋納の際は井筒の様な水桶部分にて執り行う事とさせて頂きました。
さて、以前の井戸埋祓いの投稿の折、
https://www.instagram.com/atsushixnakano/
さんから頂いたコメントで、井戸埋めは物悲しい気が抜けていく感じ、という様な話を教えて頂きましたが、今回の井戸埋めでは初めてその感覚を覚えました。
始まる前までは何とも思う事もなくおりましたが、降神した後、祝詞、清祓い、埋納の折には、何故か出来る限り物静かに、丁重に事を進めるべきであると直感的に感じ、その様に進行したつもりでいます。
根拠も何も無く私の思い込みの可能性もありますが、空気や頭でそう感じたというよりは、お腹に悲しみが響いてくるという感覚。
よっぽど胡散臭い感じの言い方ですが、そうとしか表現しようがありません。
あと、水の神という事で罔象女神を降神した他、この御井に鎮まります諸々の大神、として降神しました。
水の神、罔象女神は女神な訳ですが、次第最後の最後に伝わってくるような感覚で思ったのは、諸々の大神は男神の感覚だった気がしています。
そういう能力が全く無い私ですのでただの勘違いや思い込みかも知れません。これらの事が一体何を意味するか分かりませんし、神社神道の祭祀としてはそれを考える事が仕事ではありませんので、粛々と次第に則り全てを執り納めさせて頂きました。
いずれにせよ、やはり水廻りというのは様々あるなぁ、と深く思いました。