地鎮祭はした方がいいですか?の件 その2

昨日の続き
地鎮祭はした方がいいですか?の件 その2

今日は、私自身が地鎮祭の中でも不思議だと感じている、いわゆるクワ入れ、正式には「地鎮の儀」の部分から少し書きます。

地鎮の儀は️苅初の儀(かりぞめのぎ):斎鎌(いみかま、忌鎌とも表記)により、盛砂の上に突き立てられた笹竹の葉(地域により異なる)を刈り取る所作をします。主に設計者が行いますが、地方によって違うそうです。️

穿初の儀(うがちぞめのぎ):斎鍬(いみくわ、忌鍬とも表記)により、盛砂の頭頂部に鍬を突き刺し、土を掘る(実際は盛砂を崩す)様な所作をします。主に施主が行いますが、やはり地方により異なるそうです。️

鎮物埋納の儀(しずめものまいのうのぎ):祭壇から鎮物を撤下し、盛砂の下などに準備された穴に鎮物を埋納します。一般的には神職が行います。但し、東北方面では、多くの場合、鎮物埋納の儀自体が省略される事が通常となっているようです。実際私自身行った経験がありません。️

地曳の儀(じびきのぎ):斎鋤(いみすき、忌鋤とも表記)により、盛砂を掬い上げて均す様な所作をします。埋め戻しの儀とも呼ばれます。ただ、大手企業の大規模な地鎮祭を奉仕した時、関西圏から来た本社の方が鋤で盛砂を崩しているのを何度か見ましたので、やり方も地方色があるみたいです。主に施工業者が行いますが、これも地方により異なるようです。

以上が地鎮の儀の内容です。

全て共通して、所作を3回行い、3回目で盛砂に対してアクションを起こす感じになります。
またその際、「エイ、エイ、エイ」と所作に合わせて掛け声を上げます。

地鎮祭の中の次第において、地鎮の儀と名前が付くほどですので、非常に重要な意味を持つのだと思うのですが、一般住宅の地鎮祭では省略される事が多いです。

ではその様な重要な次第を省略していいのか、と思いますが、私個人の考えとしては、本質は別の所にあると考えているので、省略する事がダメだとは思っていません。

その本質というのが、生贄、という考え方です。

一般的に地鎮の儀は、草を苅り、地を掘り(穿ち)、埋め戻して工事の流れを現す、と聞かされました。

しかしながら地鎮の儀の流れを見て頂きましたが、これはどちらかと言うと鎮物、つまり生贄の為にあるような所作に感じます。

そう感じるもう一つの理由が、鎌鍬鋤の頭につく「忌」という言葉。

辞書では「嫌い避ける事。死者を出した場合に一定期間慎む事。死者にまつわる一定の期日の事。」とあります。
忌み嫌う、等という言葉があるように、いい意味で使われる事はありません。
地鎮の儀の祭具に忌が使われる事が、私の中で生贄という考え方に大きく影響しました。

もし鎮物が神の御神威を御分霊頂いた御守りなのであれば、神社の授与所も忌授与所とでもなるでしょうか?

要は、地鎮の儀では何を忌むのか、と考えれば、笹竹の葉・盛砂・鎮物のいずれかであろうという事になります。

盛砂というのは元々その地にある砂という事ですので考えにくく、笹竹の葉は苅り取ってしまうものですから、取り去るという行為からも違うと仮定すれば、やはり鎮物であろうと考えます。鎮物=生贄だから、死に向かう穢れを忌み嫌う、だから忌鎌忌鍬忌鋤と呼ばれるのかな?と考えていました。

そうなると地鎮の儀とは、生贄を埋納する為の一連の流れという事になりますが、正鵠を得た話かどうかは自信ありませんので、話半分程度に考えてください。

以上から、地鎮の儀の本質は鎮物埋納が行われるかどうか、という事にあると考えています。

地鎮の儀自体で埋納した鎮物は、地鎮祭終了後取り出されて、後日工事の際に基礎の下に埋納されます。
そうであれば、地鎮の儀を行うか行わないかに重きを置くのでは無く、きちんと鎮物が埋納されるかどうかが重要であると思うので、龗神社では後日であろうと鎮物埋納が行われるならば、地鎮の儀の省略をダメだと考えていないという事です。

以上が、私が一番不思議だと感じている地鎮祭の次第「地鎮の儀」についてです。

いつもながら私個人の私見です。
なのでこんなバカげた考え方は一般的ではありませんのでお気をつけください。

この後は玉串奉奠、撤饌、昇神となり、地鎮祭が納められます。

また、祭壇の四方を囲む竹も「忌竹(いみたけ)」と呼ばれていますが、これに関しては「竹」という存在自体にクセがありすぎて、少々考察に手間取っています。
いつか自分の考えがまとまったら書かせてください。

法霊山龗神社instagramからの投稿