参拝者の方が「8拍手」で拝礼しているのを見て思わず声を掛けてしまった話
昨日の出来事。
午前、企業さんの大型車両のお祓いが終わり、お昼ご飯前に神社内を片付けなどしていた時、お子様と2人で参拝にいらした女性がいました。
毎月一日の月次祭の日は、日本酒一合瓶を御奉献される方が非常に多く、神社の中に入って置いていく方もいれば賽銭箱に置いていく方もおられます。
賽銭箱のものは都度神社内に運び入れて祭壇にお供えするのですが、その女性とお子様が参拝を終えてからが良いだろうと思って待っていました。
するとそのお二人、二拝した後に8回柏手を打ったので、非常に驚きました。
拝礼が終わった直後に思わずお声掛けして、お子様にお菓子を差し上げながらお母さんに伺いました。
「今八度拍手されたと思いましたけど、何かそういった風習とか、そういう感じのをお持ちなんですか?」
すると
「私皇室ファンで、インターネットに天皇陛下が伊勢神宮で8回拍手するって書いてるのを見たもので、同じように参拝したいなって思っていつもそうしているんです。」
あぁなるほどね、天皇陛下っていうか、神宮の神職が行う「八度拝」を「八拍手」と勘違いしてるんだな?と思いました。
てっきり私としては、どこかに八拍手の故実が存在するお宮さんがあって、そこの氏子さんや関係者の方なのかと思って、興味津々で思わず声を掛けてしまったのですが、違ったみたいです。
結局またインターネットの誤情報なんだ、ってガッカリしました。
この様なケースに遭遇した経験は、多分全国のお宮さんであると思うんですけど、これって結構深刻な問題だと思うんですよね。
よくあるパターンですけど、
■昔の拝礼作法は違ったので、二拝二拍手一拝の作法を守る必要はない
■自由な参拝方法でも心がしっかりしていれば問題ない
■神々は作法の決まりなどを望んでいない
こういう事を主張して、正当性を訴える方々ってよくいらっしゃるな、って感じます。
以前も書きましたが、神社の祭式作法は、神社本庁で
「今後この様な祭式作法を正しい作法と定めます。」
的なものを八百万の神々に奉告祭で告げている、って聞いた記憶がありますので、自由に変えても大丈夫ですよ的なユル〜いものじゃないんですよね。
今まで座学や祭式講習で学んだ様々な事を総合して考えると、神々と神職は祭式の正しい作法を通じて縛りとし、また相互の利とする事で祭祀が成り立っている、っていうように感じる事が多くて、自己流でもなんでも大丈夫とはならないんじゃないかと思います。
私の個人的所感ですが。
作法に関して持論を展開する場合、神社関係者は神々をよく分かっておらず、作法の取り決めに対する論拠が明確なものではない、っていう前提じゃないと常識的に言えないわけですが、そんなわけ無いでしょ、どこからその自信満々な理屈が出てくるの?って毎回思います。
お寺さんで執り行う葬儀に参列して、お焼香の場で十字を切って「アーメン」って言ったり、カトリック教会に行って二拝二拍手一拝するとか、これは人間性を疑われる野蛮な行為ですが、拝礼作法への勝手な理屈展開もやってる事は同じですよね。
イスラム教やユダヤ教に対して同じ事すれば命に関わる問題になるでしょうし、国によっては死罪となる可能性がある国もある訳で、神社の場合は許されるってのは危険な思想だと思います。
今までも作法について何度か書いた事はありますが、神職は祭式作法に関して一生涯徹底的に厳しく指導されますし、それ程に神道では重要視されるものである事を理解して頂いた上で、御参拝の参考にしてもらえれば有り難いです。
あと最後に、「拝」と「礼」は別物ですので、作法としては「拝」が正確です。