八戸三社大祭法霊山龗神社オンライン渡御祭第十五日目 〜龗神社法霊神楽〜︎
令和三(2021)年 八戸三社大祭
法霊山龗神社オンライン渡御祭
第十五日目 〜龗神社法霊神楽〜︎
■ 動画1:一斉歯打ち︎
■写真2〜9:行列︎
■ 写真10:権現頭台車
協力:八戸テレビ放送、白陽写真館、八戸市教育委員会社会教育課
龗神社直属の神楽である法霊神楽のご紹介です。
正式名称を「龗神社法霊神楽」と言います。
法霊神楽が誕生するには、霊能力の強かった私の曾祖母の神懸かりがありました。
ある日曾祖母の夢枕に法霊明神が立ち、「我を祀ってほしい」と託されたそうです。
それを受けて、本殿北側裏に絡まり合って立ち誇っていた桜と杉の木の根元から権現頭を彫り出し、そのお姿としました。
そしてこの権現様のもと神楽組を組織する為、先々代宮司が内丸町内(当時は八幡丁と言った)の若者に声掛けし、費用は神社が持つので神楽を習い奉納願いたい旨申した所、十数名が願い出て神楽組を組織するに至りました。
紆余曲折あったものの、昭和22年頃からは「法霊神楽」の名で活動をするようになって現在に至ります。
一般的には山伏神楽、又、里神楽と分類されます。
法霊神楽の説明がなされる際、中山手(なかやまて)と江刺家手(えさしかて)という、岩手県の中山地域、江刺家地域の神楽からの伝承を元に構成された、という説明がされます。
法霊神楽代表者によると、伝承される神楽歌本には「南部山伏神楽中山手左派」と表記があり、中山手との関連性を見出せます。
また昭和25年前後、法霊神楽の活動が難しくなるほど人員が減った際、八戸市の鮫(サメ)地区という辺りから江刺家手のメンバーが集まり、法霊神楽が再起することになります。
そこで中山手と江刺家手を持って語られる面があるという事だと思います。
山伏神楽マニアの法霊神楽代表者によると、中山地域と江刺家地域の神楽舞は大体が同じだそうですが、「山の神舞」の下舞(したまい、権現舞等のメインに入る前の舞)が明らかに違うそうです。
また、上記の中山地域と江刺家地域に現存する神楽と比較すると、法霊神楽は舞の様子が違うのだそうです。
但し共通する物も存在し、それが「神楽歌」なのだと言っていました。
祈祷の歌、幕出し(舞の出だし)の歌はほとんど同じ、という事でした。
さて、神楽と言うと、全国的には能面の様なものをつけて舞うものや巫女舞などが主流と思います。
私個人の憧れである高千穂をはじめとする九州地方の神楽もそんな感じに見えます。
実際その様なものをイメージされる方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
しかし青森県東部と岩手県などで神楽というと、大概の人は法霊神楽のように権現頭を歯打ちするようなものを思い浮かべると思います。
そして、それが全国的に見れば少数派だという事を知らない人も相当数いるみたいで、神楽ってのは権現頭があって歯打ちするのが当たり前、という認識です。
全国的に主流の神楽では、内容も神話に基づいたものや、神道の影響下にあるものが主題のものなどが多いのかな、と感じていますが、神楽に詳しくないので間違っていたらご指摘ください。
それに対し法霊神楽などに見られる南部山伏神楽では、登場する神も神仏習合の影響に見られる神で、神楽歌も聴いていると修験のものだと取れます。
この神楽歌の内容というのが私にとってこの上ないほど興味深いものなので、将来法霊神楽を詳しく紹介する機会に投稿しようと思います。
三社大祭での法霊神楽は、舞としては「一斉歯打ち」と呼ばれる、幾つもの権現頭が一斉に歯を打ち鳴らす舞をしながら行列します。
原則として辻毎に行うとしていますが、やはり辻に寄り来る、または溜まっている悪しきを祓い清める事が目的とされます。
また、八戸では権現頭が祀られている家庭というのが結構あり、大祭前になるとその様な家の方々が、自分の家の権現頭と初穂料、米、酒などを神社に持ってきて預けていきます。こ
の様な権現頭は毎年約30頭程集まります(写真10)。
この権現様を三社大祭の御通りと御還りで歯打ちしますが、御通りでは西に向かうので西の家々から預かった権現様を、御還りは東に向かうので東の家々からのものを、という様にして全てを必ず歯打ちします。
これを「遊ばせる」と言います。
昔、権現様はたまに遊ばせないと、苦しんだり祟ったりする、などと聞いた記憶があります。
それで年に一度、三社大祭で遊ばせてもらう為に各家庭から集まってくるという事だと思います。
来年以降、三社大祭を観光で見られる機会がありましたら、この地域独特の南部山伏神楽「法霊神楽」の迫力ある一斉歯打ちをご覧頂き、地方文化の伝承に見える精神性を感じていただけたら幸いです。