陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

豆知識

市杵島姫命について その1

以前赤龍大明神に関してコメント頂いた際にお約束しましたので、今回は市杵島姫(弁財天と比定される)に関して少々。

予めお断りしますが、今回は神社神道や古事記日本書紀の面でのお話ではなく、民俗学に近い観点の話です。その為一個人の類推に過ぎず、諸説あるものに対する私の戯言だと思ってお読み頂ければと思います。

そして何事にも否定的な意図はありませんのでご理解ください。

まず、写真は八戸の弁財天と称される蕪嶋神社さんです。これから書くお話は、この蕪嶋神社さんも例に漏れず、他の弁財天と言われる神社と同じである内容と考えています。

それでは、この弁財天と言われる市杵島姫命とは、どういった要素を持った神なのか?

海の神である性質などを考慮すると、元は海神族と考えられます。ワダツミですね。また、宗像三女神の一柱とされます。

この宗像(ムナカタ)ですが、一説では海方(ウナカタ)から来ている等と言われるそうで、これも海神族である事の後押しになります。

では名前の市杵島姫(イチキシマヒメ)とはどの様な由来がある名前なのかですが、島(安芸の宮島)に居着く姫神、と見る説があり、私自身この話に強く納得させられたものです。

事実日本書紀の記述などを見ていくと、天孫の為にこの地(厳島神社の辺り)に居着いて世話をしなさい、という様な記述があり、その際は同殿共床であったという事なのですが、つまりは地方妻や愛人、若しくは囲いの娼婦の様な扱いをされた、というか強いられた女神であったという事なのではないかという話らしいのです。

島から出る事も許されず、意思に反して関係を無理強いされ、その結果強い怨霊となって祀られた神であると。

厳島神社自体の構造を見れば怨霊というのはまず間違いないと考えられますが、その神がなぜ弁財天、つまりは財産の神であると言われる様になったのでしょう?

実際は財の神としての性格は室町以降の事だそうで、良くある他宗教との習合過程において財産の幸をもたらすという性格が付与された、と言われます。

ではなぜ市杵島姫に財の神の性格が付与されたのかですが、これは全国の御祭神の御神徳を理解する上で有用性が高いと私が思う理論があり、それが影響しているのではないかと思います。
(但し、古い神社には大いに当てはまるものの、比較的新しめな神社には当てはまらない場合も多くあります。)

その理論とは、原則神々は、自らの叶わぬ出来事を人に与える事で神威の発揚をもたらす、というものです。簡単に言うと、出世が叶わなかった神は出世の神となり、その成就をもって神自身の力が上がる、という事になります。

という事は、財の神である市杵島姫は、自ら望まない立場に追いやられ、財も何もかも奪われ、娼婦の様な生活を強いられた人だった、と理解できます。

そして、これを裏付ける現実的な証明資料が実は全国に存在しており、最初に言ったように蕪嶋神社さんもその例に漏れない存在と考えられるのです。

当然日本三大弁財天と言われる厳島神社、竹生島神社、江島神社もズブズブに当てはまる事です。

長くなりましたので、続きはまた後日書かせて頂きます。