令和四年9月13日 イワタニ・ケンボロー(株)田代農場 畜霊祭
本日は毎年この時期に執り行われております、青森県三戸郡階上町にある「イワタニ・ケンボロー株式会社田代農場」さんの畜霊祭に伺いました。
例年の事ですので、お互い次第を把握している関係上、内容的な打ち合わせは不要ですので、日時だけ電話で申し込み頂いております。
しかし今年の申し込みの際、社長が変わりましたという事で、新社長のお名前をご連絡頂きました。
それを見た時に、えっ!?と思ったのですが、あれ?このお名前って前々社長と同じじゃない?と。
イワタニ・ケンボローさんは、鳥人間コンテストのメインスポンサーやカセットガスなどで有名な「岩谷産業」さんのグループ会社ですが、子会社出向で役員をされた方々が本社や親会社に戻って出世する、という良くあるパターンであると私は認識していました。
2年前までの社長は昨年変わられて、昨年は祝詞の中で新社長のお名前をお呼びしたのですが、今年はまたもや2年前までの社長と同じお名前。
現地に行った際「同姓同名の別人ですか?」と聞いたら、いやいや同一人物ですよ、との回答。
へぇそんな事もあるんだなぁ、と思っていたら、本人は元々畜産系のプロなので、こっちの仕事の方を希望したみたいですよ、と教えてもらいました。
本社は東京都なので頻繁にお会いする訳ではありませんが、もう会う機会もそうないだろうと思っていた方と再会するのは感慨深いものがあります。
なので終了後社長に「またお会いできるとは思っていませんでした。」と言ったら笑ってました。
それはそうと、畜霊祭においては、家畜動物の命を戴いて人の糧とする事などに感謝を捧げ、その行為の意味を噛み締める機会とします。
人間を含め動物というのは、何かしらの生物の命を奪う事でしか生きていく事ができません。
その命の対象は家畜や海洋生物などの動物のみならず、植物の命も含まれます。
また動植物の種別分類に差異を設けず平等に捉えるべきかと思います。
命の種別に差別を加えるのは、人間が知性を持ったが故の驕り昂った偏見であると、私個人は思っています。
クジラは捕ってはいけないが牛やマグロはいいですよ、というのが差別主義者の良い例です。
数十年も前からクジラの頭数は増加しているにもかかわらず、賢い動物だから殺してはいけない、だったら牛や豚などは愚かな動物だから良いのか?と昔から思っていました。
また自分で動き回る動物は殺してはいけないが、意思表示ができない植物は殺してもいいのだろうか?とも。
動物も植物も同じ命であるにも関わらず。そして植物にも知性や感情の様なものが存在している事が証明されつつあるにも関わらず。
これらはあくまで私個人の意見でしかありませんが、畜霊祭に伺う度に、改めて考えさせられます。
人も動物である事、全ての動物は命を繋ぐために他の命を奪う必要がある事、その命には植物も含まれる事、命の重みに差をつけるのは差別である事。
せめてこの事を理解して食事を頂く事が、その命に対する最小限の感謝である、そう思うようにしています。