地鎮祭した方がいいですか?の件 その1
地鎮祭した方がいいですか?の件
住宅建築に関する減税措置の期限などもあり、ここ数年八戸市近隣では地鎮祭をはじめとする建築関連の祭祀が多い傾向です。
前回のラッシュは伊勢志摩サミットの前あたり、つまり消費増税の延長が発表される前でしたので、経済施策の影響をモロに受けているようです。
そこでよく聞かれるのが、地鎮祭ってやった方がいいですか?という話。
私としてはやった方がいい、というより、やらないのは良くない、と思います。
一昨日の投稿に書いたように、地鎮祭をしない事で災いに見舞われる事があるかどうかはわかりませんが、私の神職としての経験則に照らして判断するなら絶対しなければならないと思います。
地鎮祭は、適切な神を降神し、御供物で饗応し、願意の趣旨を伝え、建築場所を明らかにして祓い清め、生贄を供進して、玉串を奉って拝礼する、という感じの内容で行われます。
適切な神とは、地面に関わる神、土に関わる神、建築に関わる神、産土神、祓戸神などで、降神する神は神社によっても考えは違うと思いますが、おおよそはこの様な神々を神籬(ひもろぎ)といわれる依代に降ろして行います。
私の場合、神降しをする前と後で、祭壇周りだけ毎回必ず声の反響が明らかに変化するので、これが神が降りた証拠なのかと勝手に思っています。
ここまであからさまに反響が変わると意識せざるを得ないというレベルなので、そう考える事にしました。
御供物での饗応は、そのまま、神饌を供える、つまり献饌です。これは地鎮祭の中でも非常に重要な部分かと思います。
地鎮祭に限らずですが、神饌献撤は祭祀において重要な意味を持つものと考えられ、神饌自体の持つ地位も神職より上に位置付けられる程です。
なので神饌献撤の無い地鎮祭というのは、地鎮祭の趣旨から見てもあり得ないのです。
その後、願意の趣旨を祝詞で奏上します。地鎮祭ですので、建築の許しを乞い、その対価として神饌物でもてなして生贄(鎮物)を供し、建築場所を明らかにするのでその工事に於いて災う事の無い様に願い、建築工事が挫折すること無く進み行く事を乞い願う、という感じでしょうか。
祝詞の後は、切麻散米(きりぬささんまい)です。四方祓い、四方清祓いなどとも呼ばれます。
切麻とは、細かく切った和紙と麻を細かく切ったもの、米、塩を混ぜたもので、この切麻を土地又は建築予定場所の四隅に撒く行為を行います。
前に「米と塩と酒を撒くだけじゃダメなんですか?」と聞かれた事がありますが、切麻散米は、紙と麻の方がメインで、よっぽど重要かと思います。
よく見る、お祓いで振られる、ギザギザの紙がついた棒を大麻(おおぬさ)と言いますが、大麻は紙と麻紐で作られています。これで祓戸四柱大神による清祓いを願うわけですので、これらを切った切麻も同じ意味を持ちます。
四方の神にお供えする為に米塩を撒く、という説を聞いた事がありますが、それであれば四方の神を降神すれば良いわけで、今一ピンと来ません。
私としては、米や塩は、切麻の補助的な役割ではないかと考えています。
米には霊力が宿り、塩は簡単な浄化作用があると昔から考えられてきたので、清祓いにおいて切麻の清祓いで更なる力の高まりを意識しての事なのではと想像しています。勝手に。
龗神社では、この四方祓いで切麻が巻かれた場所を取り囲んだ範囲を区域内(かきぬうち)と認識する様に、祝詞で神々に伝えています。
これで神に対して建築地を明らかにしています。
その後、いわゆるクワ入れ、正式には地鎮の儀となります。
この地鎮の儀は、建築の流れを簡略化したものを現している所作だと聞いたのですが、私は地鎮祭の中でもこの部分が不思議でなりません。
長くなりましたので、続きは次回書きたいと思います。
ちなみに写真は鎮物(しずめもの)です。