八戸市教育委員会社会教育課のKさんが文化財の状況調査に来て緊張しまくった件

本日午後は、このインスタ投稿に何度も登場されております、例の八戸市教育委員会社会教育課のKさんが来られました。

先日の投稿にも登場した、あのKさんです。

龗神社に2台収蔵されている江戸時代の山車人形ですが、先日は武田信玄の調査をされたので、本日はもう一台の「太公望」の破損状況調査です。

法霊山龗神社instagramからの投稿

今回は何で怒られるのだろうと緊張しつつ、打ち合わせに臨みました。

まずは書面等で、現在までに確認されている破損や劣化状況を確認しました。
その後宝物殿内に収蔵されている人形の元へ。

衣装は復元修復に向けて脱がしてあるので本体の確認なのですが、前回の武田信玄人形の時の事が思い出され、私の中に絶大な恐怖と緊張が押し寄せてきます。

「あっ、ビス打ってありますね」
「安全ピン付いてますけど」
「これは明らかに新しい木材ですよね、どう見ても。」
「腕、強い針金ですけど、こんなもの江戸時代に存在していないはずですよね」

たたみ掛けるような怒涛の攻撃です。
所々で小さな声で「ゴメンなさい」と言いながら、正面から攻撃を受け続けました。

腕が硬い針金製ってのは昔から変だとは思っていましたよ、たしかに。
「元がどうだったのか何とか頑張って調べてみます」と小声でお伝えしました。

極めつけは人形が座っている箱です。
どう見ても木製のりんご箱か茶箱って感じのものに座っております。太公望の首、と、墨書ではなくマッキー的なもので書かれております。

ヤバいのはもう十分理解しておりましたが、先制攻撃でダマせないだろうか?そう思い、先に言い放ちました。
「あぁこの箱、太公望の首って書いてあるし、保存と展示の両方を兼ねてこういう箱型になってるんじゃないかな?効率的で便利だし。昔の人ってよく考えてるよね。」

ふぅ、最後まで言い切りました。
しかしその安心も1秒未満で切り崩される事に。

「あり得ないですね。この箱、釘打ってありますけど、江戸時代の釘は頭が四角いものなのに、これ丸型の西洋釘ですから。文字もマジック書きだし。」

「いゃでもさ」
「昭和55年の新聞入ってますけど、箱の中に。」

終了しました。
せめてもの抵抗と思い、
「きっと何かの修繕をした時に、その日付を残したいけど人形に書き込むわけにもいかず、代わりに修繕作業をした日の新聞入れてたのかもね。」
とお伝えいたしました。

「ビスは打てても日付は書けないと?」

私だって、言ってる事が言い訳にもならないメチャクチャな事であることくらい十分理解してますよ。

一言くらい言っておかないと、彼女のペースで撃沈するのみと思い、思い切って一言言ってやろうと決意しました。

「・・・」

何の言葉も思いつかず、何も言えませんでした。

今日も賑やかで素晴らしい調査となりました。
誠にありがとうございます。

それはそうと、武田信玄人形と違い、以前から太公望には構造上、もの凄い違和感を覚えていました。

作りが複雑で、必要無いようなパーツがあったり、組み方が複雑に絡み合っていて、何でこんな作りにする必要があるのかな?と思える部分が多いのです。

不必要な穴が複数箇所空いていたりなどもあって、何に使うべきなのかわからずにおりました。

それでふと思いついて言ってみたのですが、言いながら自分でも結構あり得るんじゃないかと思いました。
この太公望人形、実は何かの方法でからくり人形みたいに少し動く構造なんじゃない?と。

首の心棒が下まで貫通したり、腕の付け根部分が胴体の中で首の心棒と複雑に絡む構造になっていたり。
そして不必要と思った小さな複数の穴、これは浄瑠璃の人形みたいにクジラのヒゲかなんかを通して、他の穴と適切に連結すれば、実は一箇所動いた時に連動して動くとか。

この話にはさすがのKさんも「もしかして!」って感じで湧き立ち、一気に上機嫌に。

今後古文書の調査や専門家に調べてもらうなど、実態を明らかにできるように頑張ってみよう、という事で意見の一致をみました。

今後わかった事は随時お伝えしていきたいと思います。