いわゆる「日ユ同祖論」に関して意見を求められて議論せざるを得なくなってしまった話-その2
昨日の続きです。
記憶が薄れる前に書いてしまおうと思います。
昨日はインターネットの情報だけ拾って、あたかも真実の様に語るのは違うって話をした所まで書きました。
その後のやり取りです。
私「いや別に日ユ同祖論は全てデタラメとか思ってないし、こういう話嫌いじゃないですよ、ってか、むしろ好きな方ですから、日ユ同祖論も凄く興味深く見てますよ。」
女性「…そうですか。」
ちょっと言いすぎたのかも知れません。
大人気なかったです、申し訳ない。
私「例えばあなたが日本とユダヤの関係を見て、失われた十支族は日本に来た可能性が高いと思う理由の一つは、言語や生活風習の特異部分に見られる共通性とか、神道とユダヤ教にだけ見られる共通点などでしょ?」
と言った途端に明るい表情になる女性。
女性「それご存知だったんですか!?」
私「まぁ一応は。で、その神道に関しての共通部分などに対する見解を聞きたいって感じです?」
女性「いいですか!?」
私「何度も言うように、結論付けてとかじゃなくて、感想でしか言えませんよ?」
女性「もう全然!それで十分なので聞かせてほしいです!」
私「ただちょっと見聞きした程度しかわかんないですけど、例えば神職の装束、例えば狩衣とかの袖口に紐が垂れてるのは、古代イスラエル人の印として衣服の四隅に房をつけなければならない、とかいう記述と合致する、とか?」
女性「えっ、何ですかそれ?」
あれっ…
私「旧約聖書にそういう記述があって、その風習が今でも見られるのが神職装束の袖口だって話があるんですよ。狩衣って袖の下の方にヒモが垂れてるでしょ?」
女性「スゴいっ!そうですね!それも共通点ですよね!」
私「確かに共通点って言えばそうなる訳ですけど、旧約聖書側だけの都合で見れば。」
女性「えっ、というと?」
私「神道の側から見れば、ちょっとおかしいなってなるんですよね。例えば神職の常装とされる狩衣、一般的な御祈祷なんかに着装する事が多いものですけど、大祭式なんかで着装するような正服、袍(ホウ)っていうんですが、これにはそのヒモ無いんですよね。」
女性「っていうのはどういう意味になるんですか?」
私「いや普通に考えて、旧約聖書のしきたりが日本に伝来して、厳かに守られてきたとすれば、最も最上位にある装束の袍にこそヒモ付いてないとおかしくないですか?だって古代イスラエル人の証みたいな重要なものなんですよ?」
女性「まぁそう言われれば何となく…」
私「じゃあ何で狩衣にはあるかってなると、実際は平安時代以降とかに貴族の普段着だったわけで、決して実用的な袖のデカさじゃない狩衣を着て何かする時にジャマなんですよね。だからヒモを引っ張って袖を括ってたんですって。その為のヒモらしいですよ。」
女性「今もそうやって使用するものなんですか?」
私「今はどっちかって言えば飾り的な意味合いらしいです。しかも旧約聖書には房(ふさ)って記述らしいですけど、これどう見てもヒモですよ?」
女性「…ですよね…」
私「思ったような話じゃなくてすいませんね。ただ要は言おうと思えば色々言えるけど、今を見て言えば時代が合わなくなったり、こじつけっぽくなったり、だからウェブ上だけの話だと間違いますよ、って事ですよ。」
女性「いえ、でも他の共通点はどうですか?」
私「例えばお清めで塩を用いるのは日本とユダヤだけだとか?」
女性「そうっ、それです!それに関してもお願いします。」
私「まず、そもそもそれって本来神道が起源か日本式の大乗仏教が先かってわからないそうで何とも言えないですけど、日本では清め、魔除けなんかで塩を使う場合がありますよね?」
女性「そうです、その風習は日本とユダヤだけだそうです!」
私「間違ってたら悪いですけど、ヨーロッパの一部でも魔除けに岩塩を軒先に置く、って風習があるって聞きますよ?」
女性「えっ!?」
私「あと神道は、清めの目的というより、穢れを祓う、っていう目的が主だと思いますけどね。」
女性「でも神社で清めの塩って置いてあるところありますよね?」
私「現代はね。外来宗教の影響で意味が広義になった結果ですよそれ。古代からの共通点を見出して日ユ同祖論を論じるのであれば、変遷した現代の結果を用いて同じとみなすのは学術的じゃないでしょ?」
女性「そうだったんですか。」
私「そもそも古代貴重だった塩をバンバンお清めに撒き散らしてたとか思います?ユダヤみたいに食物に塩かけて清めて頂くってのはわかるけど。」
とまぁ、まだまだ続きますので、また次回。