陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

豆知識

東北人は鬼の末裔の可能性が高いので龗神社は節分の豆まきをしませんよという件

以前も書いたのですが、今日は節分なので、日ユ同祖論をお休みしてもう一度節分に関して。
いつもながら諸説ある一つの説ではあるので、話半分以下くらいで読んでもらうのがいいと思います。

法霊山龗神社instagramからの投稿

節分の元になったという説がある、朝廷や貴族の間で行われていたという儀式「追儺の儀」。
儺を追いやらう儀式、つまり厄介事などを追いやらう、というところですが、この儺って何?という話です。

節分の豆まきでは「鬼」が厄介事の存在と見做される訳ですが、じゃあ鬼って何なのか?という事になってきます。

怨霊や悪霊などとも言われます。
疫病を鬼と見做した、とも言われます。
粗暴な異形の存在だった、とも言われます。

子供の頃に思ったのですが、強そうなイメージの鬼に豆投げて倒せるのかな?と。
怨霊や疫病、異形の粗暴な者に豆で勝てるのか、と疑問に思った事があるのは私だけなんでしょうか?

という事で、大人になって子供が生まれてから、少しでも正しい節分の豆まきを教えたいなと思い、様々本を読みまくって調べました。

それで私個人が理解した結果は、鬼には東北人が含まれる、という事。
端的には、朝廷に与しない勢力を「鬼」として侮蔑していたという事。
様々な本を読んでいけばいく程、そうとしか理解できなくなってきました。

これらは多くの民俗学者の著書に書かれているとはいうものの、この投稿に書いているのは私の勝手な見解ですのでご了承ください。

この場合の鬼には、蝦夷又は毛人、土蜘蛛、隼人や熊襲なども含まれるようです。
今の畿内近隣の朝廷勢力に服属しない勢力、今の関東人、東北人、北陸(北国)人などは蛮族、つまり野蛮な人ならざるケダモノとされていたという事です。
また九州方面も同じく、荒々しく粗暴な蛮族の住まう地であったとして、犬畜生と並ぶケダモノとされたらしいのです。

例えば元は北九州地域を本拠とした「安曇族」の長であった安曇磯良は、神功皇后の前で狗吠(くはい)を演じた、容姿の醜さを恥じた、等と記され、人とは扱われなかったという様な記述があります。

この様な勢力を中央政権は鬼として侮蔑し、迫害していった、というのは事実としてあるそうです。

但し、節分の豆まきが追儺の儀と直接的に関係するか、と言われれば、それは難しい気がします。
追儺と節分の豆まきでは次第が異なるからです。

多分今全国的に見られる節分の豆まき行事は、おおよそ殆どが疫病などを鬼としているものであろうとは思われますが、ただ一部地域には「鬼は内」とする地域がある事が疑問ではあります。

乱暴な言い方をすれば、追儺も節分行事も、時と共に意味の変遷や内容の変化が起こり、今に至っては本来の目的とはまた違った面を持ってきたのではないかと考えられます。

その様相は追儺の儀の内容が変化して、本来のものとは変わっている事にも現れていると言えます。
詳しく書く程知識がないので、内容の変化部分は割愛します。

という事で、私としては、真偽の程は諸説あって分からぬものの、少なくとも鬼とされた自分達の先祖かもしれない者に対して「鬼は外」といって豆を投げつける行為が心情的に無理で、豆まきをしないと決めて今に至ります。

豆は投げないものの食べたりはします。

私の家系の先祖は元々藤原南家の為、朝廷側であったのでしょうが、31代続くうち25代に渡り八戸の地にて祭祀を行ってきておりますので、出自本姓に関わらず豆まきは無理かなと思っています。

まぁ勝手な推測に基く決断ですし、今や豆まきの意味も変わっているであろうと思うので、正直意味あるかどうかわかりません。

節分の行事はありますか?と毎年問い合わせがあるので書いてみました。

ちなみに写真の落花生、近くの料亭「萬鱗」の女将さんに御奉納頂きました。
ありがとうございます。