本年度の八戸三社大祭

ここ1ヶ月以上、誰かにほぼ毎日聞かれる事、本年度の八戸三社大祭に関して。

毎度同じ回答したり、言い忘れちゃったり、私もその時々の事情で回答が曖昧になってしまっているので、再度ここで様々まとめて書いておきたいと思います。

先ず以て、本年度の方針決定に至るまでには、過去の投稿にもあるように幾度も打ち合わせや会議を行っています。その中で様々意見があり、

①神社行列がなくても山車だけで祭りを行う
②行列渡御は全面的に中止すべき
③山車の台数を減らして神輿渡御は行う

大まかにこのようなテーマで議論がなされました。順番に説明していきます。

【① 神社行列がなくても山車だけで祭りを行う】
①について龗神社としては、山車だけとは言え、八戸三社大祭の関連行事とされた場合、万が一クラスター等が発生した場合を考えました。祈りの場である大祭に於いて、人命に関わる問題が発生したならば本末転倒もいいところです。何よりもしお亡くなりになられる方がいらした場合、その家族の方々は一生涯お祭りの度に悔しさを思い出し、悲しみと腹立たしさを増すばかりです。その方々の気持ちに立つと、私自身正常な精神状態で今後の大祭を行っていける気がしません。

そしてこの様な人命に関わる問題が起きた場合、龗神社としては、関係した山車組や団体に対して強く解散を求めざるを得ません。さらにこれが三社大祭の行事とされたなら、御祭神の尊厳を著しく貶める行為にもなります。

一応報道関係の方々に、神社に一切関わりの無い全くの別なイベントである事を徹底的に強調して報道できるか聞いたところ、それはできません、例え本当は違うとしても、あくまで三社大祭の関連のような報道になります、との事でした。実際去年も無関係のイベントを三社大祭関連の様に報道されていたので、多分そうだろうなとは思いました。

そしてもう一つ。100年以上に渡って続いてきた、神社と山車の合同大祭という伝統を捨てるかどうか、という選択です。

神輿は出ずに山車は出て、第三者が三社大祭の一環と思ってしまえる状況にあった場合、又は参加団体などを見てもそう判断するのが普通、という様な状況で行われた場合、いくら言葉を並べて取り繕ってみても、それは合同大祭の伝統が断絶した事を意味します。

ことある毎に三社大祭は神事と主張する人々がいますが、その神事の体裁が無い中で三社大祭と関係していると見做せる行事が行われるのですから、当然断絶したと判断されます。

特にここを見てくれる神社などに強い思いを持つ方々は、御理解が早いのではないかと思います。

伝統の興りが神の御神威であったなら、終わらせるのはいつの時代も人であるのは歴史的にも変わりませんが、自分がその時期に立ち会うのはあまり好きじゃないです。しかも、私は首都圏での生活が長かったせいか、ディテールに拘りの無い事やって喜ぶのは今どき田舎者だけだよ、という昔の知人の言葉を現実に目の当たりにしているようで、少し情けない気がしています。

但し、山車組は神社の所有物ではありませんので、三社大祭に関わりの無い全く私的なイベントで神社に無関係である、と言われれば二の句がつげませんので、我々の口出しすべき事ではありません。

大まかにこの様な考えに基づいて委員会ではお話を致しました。今後イベント等どうなっていくかわかりませんが、本日現在では特に決まったものはないと承知しています。

【②行列渡御は全面的に中止すべき】
現実的にこの様になりました。龗神社がこの決定に至った経緯などは、特に関わる人々にとっては重要かと思いますので、別途詳しく書かせて頂きます。

【③山車の台数を減らして神輿渡御は行う】
最初、はちのへ山車振興会(小笠原修会長)さんからは、場合によっては、という事でこの様な提案を頂きました。これに関しても様々報告させて頂きたい事もありますので、こちらは次回投稿に書かせて頂きます。

%year%%monthnum%%day% 法霊山龗神社instagramからの投稿