陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

豆知識

市杵島姫命について その2

昨日の市杵島姫の続きです。

繰り返しですが、何事も否定する意図は無く、神社神道や記紀の学問的見地に関わりのない、私個人の戯れ事ですのでご理解ください。

昨日弁財天と称される神社には必ず共通項が存在する旨書きましたが、その点に関してです。

まず、明らかに共通するのは、その鎮座地、又は元々の鎮座地が、
▫️海上交通の要衝である
▫️重要な漁場若しくは荷上げ場である
▫️金属等の産出地にとって重要な位置にある
このいずれかに関係する事です。

厳島神社は海上交通の要衝である事は言うまでもなく、長い時代この場を巡って争いが起きていた事は言うまでもありません。

江島神社は漁場という特性もありますが、何よりも稲村ヶ崎に代表される砂鉄産出地に程近いという特性があります。また近隣にある銭洗弁天という存在も砂鉄産出地であった名残りと思われ、お金を洗うと増える、という理屈は、マネーロンダリング(資金洗浄、してはいけません)以外では物理法則的に考えられない訳ですが、洗うと銭になる、と見れば、物理法則に則った事実となります。つまり、砂を洗って不要物を流せば鉄になる、と。

竹生島弁財天は、古来より漁場であったと言われていますが、同じく八戸の蕪嶋神社さんも重要な漁場としての役割があったそうです。

現在は陸続きの蕪嶋ですが、少し前までは繋がっておらず、本当の島だったそうです。その頃は漁獲物を蕪嶋に荷上げし、小舟に移して陸まで運んだそうです。

さて、大まかに3つの特性を書きましたが、ここから先の共通項が重要となります。この3種類の特性に共通するのは、人が集まる、この一点に集約されます。

漁場には漁師達漁民、交通の要衝には宿場の発達に伴う人々、産鉄地には産鉄民やその利権に関係する者たち、という様な感じかと思います。

すると昔は、その様な地域に共通して発達するのが遊郭であった、となるのです。

厳島には町屋通り、竹生島近隣には雄琴、江ノ島辺りには藤沢、など。形として成立した時代は後になったとしても、その原点といえるものは更に時代を遡って存在していたと考えられます。

事実八戸市の蕪嶋神社さんも、八戸市小中野地区の遊郭の神であったと推測できるのですが、その成立は江戸で、蕪嶋さんの鎮座はもっと遡ります。しかしその遊郭の原点は八戸市鮫町にあった、漁民の身の回りを有償で世話する世話女であったと考えられ、後にその場が小中野に移ったものと思われます。

そして昨日書いた、市杵島姫に財の神の性格が付与された、という部分に繋がります。神は自らの叶わぬ願いを人に与えて神威の発揚を得る、という論理の部分です。

市杵島姫が、望まずに囲いの娼婦の様な扱いを受け財も何もかも奪われたのであれば、逆に娼婦の財を守り幸福と自由を願う神になられる、となる訳です。

わかりやすいのは東京吉原で、江戸時代には幾つもの弁財天社が存在したと言われています。そして吉原の鎮守も市杵島姫であった訳ですので、はっきりそのままって感じです。

もう少し詳しい事もありますが、今回はここまでとさせて頂きます。

最後に、写真は蕪嶋神社さんの新社殿です。遷座祭に助勤神職として奉仕させて頂いた際撮影させて頂きました。