陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

社務日誌

法霊山龗神社instagramからの投稿

【縄文時代】って本当に定説通りでいいの?八戸三社大祭の龗神社三百年記念事業に関わる、埋蔵文化財本調査もあと半月くらいで終了の見込みです。複数の竪穴式住居跡が発掘されているようです。また、3枚目はフラスコ状土坑というものの跡だそうです。これは口が狭く中が広くなっていて、まさに三角フラスコのような形状であることからそのように呼ばれるという事でした。果実などの貯蔵庫として使用されるものだそうで、時代としては縄文時代のものである可能性が高いそうです。そこで縄文時代についてですが、そもそも世界中の文明などを見ても類を見ない時代と言えます。例えばエジプトやメソポタミアはじめ、シュメール、古代ローマ、アレクサンドリアなど、どこの世界に1万年以上も続いた文明が存在するのか?そしてこの時代、縄文人は1万年かけて緩やかに発展し、弥生に入るあたりで農耕を始めた。それから約2,500年〜3,000年程度経った今、海産物は養殖でき、飛行機は空を飛び、スマホで世界中の人々と瞬時のコミュニケーションが取れる。一万数千年劇的な発展はなかったが、直近2,500年では常識外の発展を遂げたのが現代日本、という事なんでしょうか。どうしても腑に落ちないなぁ、と以前からずっと感じていました。一番最初にそう感じたのは中学生の頃で、縄文人が定住し、国家的な集合体を持たず、狩猟や一部栽培などをして生活していた時代、エジプトではピラミッドが建設されていた事を習った時だったと記憶しています。他国では都市形成が行われ、国家が成り立ち、宗教などが発展して、国家間の争いも起こっている中、日本では小規模集落で近場の人同士が好き勝手な場所で生活し、国家のような単位も存在せず、信仰もあるのかどうか不明で、争いも一切無く平和でユルユルな生活をしていた。それが稲作が盛んになり始めた途端に小国がたくさん誕生し、急に神が湧き出て、争いが頻発するようになった、そうです。私が違和感持ってるのが知識が浅くて的外れなのかも知れませんが、ホントに縄文ってそういうものなの?ってのが未だに心に引っかかっています。#法霊山 #法霊山龗神社 #八戸三社大祭龗神社発祥三百年 #三社大祭龗神社発祥三百年 #埋蔵文化財 #埋蔵文化財発掘調査 #埋蔵文化財発掘調査中 #縄文時代 #縄文時代の遺跡 #竪穴式住居 #竪穴式住居跡 #縄文時代の不思議と謎 #歴史の謎 #shrine #shintoshrine #shintoism #ancientmistery #jomon #青森県の神社 #八戸市の神社 #八戸の神社 #aomorishrine
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