神社の正しい拝礼と間違った拝礼について
神葬祭の投稿の際に拝礼作法について書きましたが、本日神葬祭があった事がきっかけで思い出しましたので、今日は拝礼の作法について。
ウェブで見ると様々な作法が散逸していて、何故か神社庁や神社によっても違う案内がされていたり等で、正しいものがどれなのかわからなくなってしまいました。
そこで、祝詞奏上の作法を元にして、賽銭箱前の参拝作法に落とし込んでみる、という方向で考えました。
同じ祈願行為、という事で。
それでは、正しさに自信がない作法の紹介にいきます。
1、賽銭箱少し手前で15度の角度でお辞儀をする。時間にして約1秒程度。
2、正中(せいちゅう、中央の事)にいる場合は、左足→右足→左足と三歩少しく進み、三歩目で足を揃えて立ち止まる。正中以外の場合は、正中に遠い方の足から三歩進む。
3、45度の角度でお辞儀をする。時間にして約1秒程度。
4、賽銭を入れる。
5、鈴緒を静かに振って、うるさくない様に鈴を鳴らす。
6、90度の礼を2回する。一回につき約3秒程度。手は太もも横につけるのではなく、太もも前に下ろす(礼の際に膝上あたりに手がくる感じ)。
7、15度程度に頭を下げて(頭だけ下げるのではなく、腰から15度に折れるように)、住所氏名、感謝、祈願などを述べる。終わったら元に戻る。
8、90度の礼を2回する。作法は6番と同じ。
9、胸の高さよりやや高めの位置で両手を合わせる。この時、手の小指のラインが地面と水平になる様に構える。つまり、全体的に手指と地面が水平になる感じになる。
10、手を合わせたままで、右手を少し手前に引く。一関節分くらいずらすイメージで。
11、大きく音を立てて、柏手を2回打つ。この時、手を開く際、手のひらが上向きになったりしない様に注意して、水平に動かす。また、開く幅は肩幅程度になるように。
12、2回目の柏手を打った時、手のひらがくっついた状態で終わるようにして、引いていた右手を元に戻し、ピッタリ手のひらが合った状態に戻す。
13、手を下ろし、90度の礼を1回する。作法は回数が違うだけで6番に同じ。
14、45度の角度でお辞儀をする。時間にして約1秒程度。
15、正中の場合、右足→左足→右足の順に少しく後退する。正中以外の場合は、正中に近い方の足から三歩下がる。
16、15度の角度でお辞儀をする。時間にして約1秒程度。
17、15番と同様の作法で3歩後退し、4歩目で進行方向に回転して神前を退く。
以上が祝詞作法に賽銭箱前の拝礼を落とし込んだ場合の作法です。
これが正しい保証など全くありません。
ただ、祝詞奏上の作法は研修で習ったものそのままです。
注意する所としては、柏手の際の手の角度の部分と鈴の鳴らし方です。
鈴を鳴らして自分が来た事を神に知らせる、と、よく言われますが、これは大きな間違いだそうで、私は研修の際に、鈴の清々しい音で神と自らの精神をつなぐ、と聞きました。
また、合掌して拝むのは間違いで、その様な作法は存在しないと研修で聞きましたが、何故か合掌して祈る様な記述をしてるものもあり混乱しましたが、やはり研修で習った事を正として書きました。
これらの作法ですが、何故決まっていて守ることが重要なのか、という話を、やはり研修の際に聞いた記憶があります。
確か私の記憶では、作法に関して決まった事は八百万の神々に対し、この作法で行きます、的な奉告祭が行われていて、今でも作法の変更がある度に奉告が行われるから、正しい作法で務めなさい、と言われたような気がします。
間違ってたら大変申し訳ないのですが…
でも確かそう聞いたような気が…
これらの行為、民俗学では一定の見解があるそうで、呪術廻戦風に言えば、神々と神職(人)の間で交わされる「縛り」のようなものだそうです。
お互いリスクとメリットを享受する約束事、とでも言いますか。
この考え方、私としてはもの凄くしっくり来ますが、もちろんその様な事を研修で習った事はありません。
理由は様々ありますが、民俗学、歴史学などで示される傍証から判断するに、原則神社の祭神は多くが怨霊である事等を考慮すれば納得できます。
何で怨霊が人の願いを聞いてくれるんだ?という至極単純な謎の解答になり得ると思うからです。
また以前、4/24、4/25、4/28の市杵島姫の投稿の際、御神徳の特性に触れましたが、その部分にも縛りという考え方を見る事が出来る気がします。
ちゃんとした心があれば、作法が違ったり自己流であってもいい、と書いてる人を見た事がありますが、縛りであるなら何でもいいという理屈は難しくなります。
実際書いた事の正確性に自信が無いので無責任な話で申し訳ないですが、少なくとも神職の祭式作法などが存在するのには相応の理由がある事、正しい作法で参拝する事がどうして大切なのか、という部分の取っ掛かりくらいはご理解頂けるかな、と思い書いてみました。