陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

社務日誌

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【歴史ロマン】義経北行伝説古文書「類家稲荷大明神縁起」1以前いつかご紹介すると書きましたので、今回は義経伝説の古文書のご紹介です。龗神社には、義経北行伝説の詳細が記された古文書が所蔵されています。写真はその表紙ですが、発見された時にはすでにこれ程までに劣化していましたので、2つ折りにされた紙の間に、白い紙を挟んであります。一時期八戸市立図書館に預けてありましたが、現在は神社にて保管しています。この古文書が発見されたのは遠い昔ではありません。先代宮司である私の祖父が発見しましたので、見つかってからまだ60年前後です。表紙には「類家稲荷大明神縁起」と記されており、この古文書の名前がそれであるとわかります。さて、先代が発見したと書きましたが、つまり当家でも誰一人この存在を知らなかったのです。龗神社のすぐ近くに三八城神社という神社があるのですが、そこの宮司をされている方は私共の遠縁に当たります。親戚ですね。その三八城さんの先代さんが、龗神社には義経伝説にまつわる文献が所蔵されていると口伝されているので、きっとあるはずだから探して欲しいと言ってきたそうです。遠縁とはいえ親戚筋ですので、その口伝はうちの先代も知ってはいたものの、見かけた事も無く、以前物品書物等の整理をした際にも見つからなかったそうです。その旨伝え、折を見て探すようにお伝えしたのですが、結局は見当たらなかったそうです。それから少し経って、先代が本殿の掃除のために全ての扉を開けて中に入った時、よく見なければわからないような木目のズレがあり、触ってみたところカタッと外れ、中の窪みに古文書があるのを発見したと聞いています。これが類家稲荷大明神縁起が発見された経緯です。本書は、義経自害と言われる年よりおおよそ五百年ちょっと経った1732年に書かれたものだそうで、義経八戸上陸後、稲荷神社参拝の時に義経に榊の枝を奉る役目だったと伝わる一族の家伝を記したもののようです。この榊の枝を奉った一族は、義経から名前ではなく榊と呼ばれていたそうで、義経の許しを得て榊氏と名乗ったそうです。そして現在も八戸や階上町には榊さんという方が多くいらっしゃいます。内容についてはまた追って紹介していきたいと思います。#神社 #龗神社 #法霊山 #法霊山龗神社 #古文書 #古文書好きな人と繋がりたい #源義経 #源義経伝説 #源義経が好き #義経 #義経伝説 #義経北行伝説 #歴史ロマン #歴史ロマン好きな人と繋がりたい #源義経伝説がある神社
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