法霊山龗神社instagramからの投稿
【歴史ロマン】義経生存説昨日コメントで頂いたので、龗神社と義経伝説についてご紹介します。ちょっと長くなります。そもそも義経北行伝説とは、鎌倉方に攻められた源義経は平泉の衣川で自害したと言われているのが、実は生きていて北上し、北海道まで渡ったとされる説の事です。写真は平安末期から鎌倉初期のものとされる銅鏡なのですが、この所有者とされるのが源義経の正室と伝わる、京の久我大臣(こがおとど)の姫君だと伝わっています。但し義経正室が誰なのかは諸説あります。では何故その手鏡が龗神社に所蔵されているのかというと、久我姫はこの辺りで亡くなったと伝わっており、その際神社に預けられたと言われているからです。そしてその亡骸は現在龗神社が鎮座する境内地の辺りに埋葬されたと言われます。この銅の手鏡は「菊花紋双雀紋鏡」と言われ、意匠が平安末〜鎌倉初期のものなのだそうで、義経の活躍してた時期と合致するとの事。これが本物で、伝説が真実かどうかはっきり断言できませんが、東北に伝わる義経北行伝説は、その伝説地を線で繋ぐと一切枝分かれせずに、一本のルートのみが示されるといわれます。なので個人的には信憑性が高いのでは!?と期待しています。そして、実はこの義経北行伝説を記した古文書が、先代宮司の時に龗神社本殿から発見されました。いつかそちらもご紹介したいと思います。また、八戸三社大祭の龗神社につく山車組でもこの題材は扱われています。3枚目の写真は、2016年に朔日町山車組で製作した「海波駆ける義経 八戸神力のもと蝦夷へ渡る」という題材の山車です。ちなみにこの鏡は常設展示しておりませんので、直接ご覧になりたい場合はお問い合わせの上来社ください。#神社 #龗神社 #法霊山 #法霊山龗神社 #源義経 #義経北行伝説 #義経伝説 #歴史ロマン #八戸三社大祭 #八戸三社大祭龗神社発祥三百年 #義経生存説 #三社大祭 #三社大祭龗神社発祥三百年