〜鬼の真実は人間だったという話〜
日本神話で異形の存在とされる鬼は実は人間の蔑称だったという説
昨日はフジテレビ系列で鬼滅の劇場版が放送されましたね。
子供の学校でも流行っていたので、頼まれて劇場版も見に行きましたが、昨日もテレビで再度見てしまいました。
社務の都合で、早朝の上映回以外時間が取れなかったせいか、または血気術にかかったせいか、劇場では善逸がはしゃいでいるあたりから半分寝てしまっていました。
子供は眠くて目をこすっている私を見て、何でパパは意味わからない所で泣いてるんだろうと思ってたそうです。
というのはいいとして、鬼滅の刃で敵とされる鬼ですが、凡そ日本の神話や物語などでも、鬼滅と同様に人に仇なす悪しき敵、として描かれます。
桃太郎の鬼退治や、節分の鬼は外、岡山の温羅伝説などでも鬼は悪者で退治される役割です。
まぁ桃太郎のネタ元は温羅伝説という話ですので、同じような話になるのですが。
他にも、土蜘蛛、蝦夷、鵺など、鬼や異形の存在として描かれるものは多く存在し、巨人である、目が赤い、恐ろしい形相、暴力的で野蛮、肌の色が異常、などなど、人とは違う描き方をされる事が多いと思います。
阿弖流為、母禮という蝦夷の有名人物も鬼とされる場合があります。
これらの鬼という存在、実際に異形で人間離れした能力を持ち、人々を困らせていたのかとなると、学術的には多くの部分で辻褄が合わなくなるのだそうです。
では何だったのかといえば、人であったものの、朝廷に与しない勢力の者達を侮蔑する意味があってこのような描かれ方をされている、とされます。
例えば温羅は、4mを超える身長に赤い頭髪、目尻は鋭く恐ろしい形相のもので、朝廷への貢物を略奪するなど乱暴狼藉の類をはたらき放題であった為に退治された、とされます。
温羅は半島の百済王の王子で、今の岡山辺りに渡り一帯を支配していた豪族の長であったと言われるのですが、すると百済にはそのような異形の者が実際いたのか?という疑問が出てきます。
普通に考えたらあり得るわけないのですが、討伐の正当性を担保するには、異形の方が都合の良い事は多くなります。
また同じく乱暴狼藉を働いたり粗野で粗暴な方が都合いいですね。
ちなみに温羅がネタ元とされる桃太郎、お供には猿、雉、犬がいたとされますが、これらは桃太郎(=吉備津彦命)の協力依頼に応え供に戦った地元豪族であるとされ、それぞれ猿女氏、鳥取氏、犬飼氏であるとされるそうです。
そして節分です。
追儺の儀が起源の一つともされる場合がありますが、元を辿れば朝廷にまつろわぬ民を追い出す所作を豆まきで馬鹿にしたもの、と考える説があります。
豆を投げればどうして鬼が嫌がって逃げるのか、疑問に思った事があります。
いくつもの見解があり、一つは朝廷に従わず抵抗する者を鬼として、食べ物を投げつけ、恵んでやるから寄ってくるなと侮辱する行為であるとする説。
一つは、蝦夷征討で鬼=蝦夷を制圧した事を正当化し、反朝廷の鬼どもは悪である、という概念を民間に広く知らしめる為に、豆を撒いてそれを食べるという、子供達にも受け入れやすいある種エンタメ要素を持った儀式としたという説。
他にも色々ですが、共通する部分は、鬼とは朝廷に従わない人間達の事である、という部分です。
決して異形であったり、人の道を見失った外道の存在では無く、ただ中央政権には不都合な者達だったというだけで。
東北を中心に、一部地域では「鬼は内」という所がある理由は、上記の事情も一つであるからだと言われています。
自分達の先祖に向けて、鬼は外と言って豆を投げつける行為は到底受け入れられるものではない、という事でしょうか。
龗神社の神職家は出自が藤原南家なのでこれで言えば朝廷側になりますが、上記を踏まえ個人的な考えに基づいて、随分前に豆まきをやめました。
鬼に関しては、ここに書いた事だけでは言い切れない程多くの事があって一部しか紹介できませんでしたが、鬼滅の刃に出てくる鬼と日本の歴史物語等に登場する鬼は随分違うよ、という事が言いたかったという事で。
但し毎度ながら、これらの事は複数ある見解の一説に過ぎません。
間違いなく正しいなどと思っている訳ではないので、どうぞご理解ください。