令和四年3月27日 新川神社 春の例祭
昨日、龗神社神職にて毎回御奉仕させて頂いております、青森県八戸市沼舘に鎮座する、新川神社の春の例祭が執り行われました。
鎮座:青森県八戸市沼舘2丁目37
主祭神:瀬織津姫命
毎年春と秋の例祭には、地域の方々が御参列になられますが、やはり御参列者の高齢化が進み、今後の維持伝承が心配ではあります。
さて、以前新川神社の御紹介の折、瀬織津姫や龗神社との関連に関していずれ投稿したいと書きましたが、まだハッキリしない部分が殆どです。
ただ、地域の方々が代々伝え聞くには、祭神の瀬織津姫は龗神社から分祀された神で、深く関わりがあるとされているそうです。
これが本当であれば、一般的に伝わる龗神社の歴史と部分的に整合性が取れない箇所が出てきます。
そこで、記紀はじめ様々な伝承などをもとに上記に則って考えてみたのですが、確信できるものがありません。
そして明治以降の神仏分離と廃仏毀釈をはじめとした一連の神道に関わる施策や、戦前の国威発揚政策などでさっぱり分からなくなった事もあり、手掛かりが出てきませんでした。
あくまで確証のない可能性を述べるのであれば、明治以前、法霊山龗神社が「法霊社」とされていた時代の祭神の呼称が実は違う、という可能性です。
瀬織津姫は、罔象女神、高龗神などと別名を持つとされます。
もっと言えば相当な数の別名を持つわけですが、今は割愛します。
いずれにしても言えるのが、女神である、という部分で、高龗神も女神であるとされるそうです。
明治の廃仏毀釈では、仏教色のあるものは認められず、龗神社も修験の影響を廃し、純粋な神道式の神社となっています。
同時に記紀の記述に不都合なものは祭神の変更などが行われている事は、日本全国の神社で行われてきた事実があります。
これは戦前の国威発揚政策でも行われたそうです。
そしてこれらを踏まえて考えた時、確証無い説ですが、法霊社の元々の祭神は、法霊明神と瀬織津姫であった、というのはどうなのかな?と思います。
それが明治になって祭神の変更を余儀なくされ、瀬織津姫の別名「高龗神」とされた、という意味で。
だから江戸時代の創建である新川神社の瀬織津姫は龗神社から分祀されている、と伝わっている、という考えです。
何せ全く分かるものがないので、もう少し詳しいことがわかったらお知らせしたいです。
また、小さなお社ですが新川神社にも御参拝頂ければ、今後の維持伝承に大きなお力添えとなりますので、お近くにお越しの際は是非お運びください。