八戸三社大祭法霊山龗神社オンライン渡御祭第三十六日目 〜柏崎新町附祭〜︎

令和三(2021)年 八戸三社大祭
法霊山龗神社オンライン渡御祭
第三十六日目 〜柏崎新町附祭〜︎

法霊山龗神社instagramからの投稿

写真1〜3:集合写真︎
動画4:御通り︎
写真5〜10:行列

協力:八戸テレビ放送、白陽写真館、八戸市教育委員会社会教育課

龗神社附祭風流山車の最後の紹介は、柏崎新町附祭(かしわざきしんちょうつけまつり)です。

八戸市には「八戸市柏崎新町」という住所はなく、町内会の区割りとして存在しています。

実際の住所では、八戸市柏崎3丁目及びその隣接する場所の一部を指して柏崎新町とされます。

この辺りは、今まで紹介してきた塩町、下組町、下大工町などと隣接している為、柏崎新町の子供達もそのいずれかの山車にわかれて参加していたそうです。

その中で自分たちの町内でもお祭りを出して子供達に喜んでもらいたいと、昭和25(1950)年に柏崎新町附祭を結成し、その年に初参加を遂げます。

昭和期には童話を題材にした山車制作を多く行っておりましたが、平成以降は中国の物語を題材に選ぶ事が多くなったそうです。

現在制作に主に関わっている方々は20代〜50代で、男性陣はシャイな技術系のシブい雰囲気の方々、女性陣は子供と一緒に参加しているママさん達が多く、子供達はまるで保育園かという様な感じで笑い声が絶えない楽しい雰囲気で活動しているそうです。
ただ、やはり母は強し!という感じだそうですが、子供たちも楽しくワイワイ参加する、アットホームな山車組です。

しかし最初に書いた通り、隣接町内にも山車組があり、参加者確保には苦心しています。

柏崎新町では、居住町内に拘らず参加者を募集しています。そして強い思いがあってお祭りを続けておられるようですので、以下にその思いを記した文面を頂いたものを転記致します。

大人も子供も楽しめる祭を、先人の方々の思い、伝統を引継ぎ伝え続けることは、大切な文化の継承でもあります。時代と共に変化しながら、新町らしい山車組であり続けていければと思います。

以上です。

山車小屋は青森県八戸市柏崎2-9-3にありますので、お気軽にお運びください。

今回は新町さんに便乗し、龗神社の考えも付して書きます。

今我々が三社大祭をできている事、衣食住に著しい心配なく生きている事、国が存在し国民の独立が保たれている事等、全ては自分が生まれた瞬間に始まった事ではありません。

三社大祭は約300年前から、紡いできた祈りや社会道徳などの体現として伝承された一つの形です。

例えば山車組では、子供からお年寄りまでが参加して共同で作業をする中、先輩方から学び、時には怒られ、また褒められる事を経験し、目上を敬い社会性を学ぶ等、人間教育の理想的な環境があるはずです。

これが、年寄りを馬鹿にして邪魔者扱いするようでは、その環境を見て育ってしまった子供達は、まわり回って将来自分達が同じ扱いを受ける事を想像できずに自分の都合に走るようになります。

我が国は敗戦を経験しています。
そして今、また同じ戦火を経験する事になるかも知れません。

その時、戦争経験者や戦後の苦しい時代の経験者から学ばず、集団意識を軽んじ、利己主義がカッコいい等と戯れ言を述べて、家族や仲間達の命を守っていけるでしょうか。

三社大祭を通じ、参加者関係者、観覧者の方々に伝え続けたいのは、形や伝統など結果生まれた事ではなく、社会道徳や麗しい国民性など、その精神性にあります。

この様な事を会議を含め事ある毎に発言し続ける事が、山車組の方々に都合いい事ではないのも、嫌われて様々言われている事も自覚しています。
しかし神職という人種は、綺麗事ではなく国体及び皇室や国民性、精神文化などを守り伝える事を本気で考えている人種です。

嫌われて喜んでいる訳ではありませんが、だからと言ってその精神性までをも捨て去ってイベント屋の様に振る舞うならば、それは最早神職ではありません。

多くの参加者関係者の利益に反しても、我々がその主張を辞めた時、誰が精神性を守り伝えていくでしょうか。
精神性を失い、都合のいい形を作り上げたものが何百年と続いた例は、世界中探しても一つとして存在しない事はご存知でしょう。
今三社大祭はその岐路にあると私は理解しています。

守り伝えたい想いは皆様方と同じです。
ただ重きを見据える部分が違うだけです。

今後三社大祭が価値あるお祭りとして伝承される様、関係者皆様方と理解を深め合い、協力して歩んでいける事を切に願います。