八戸三社大祭法霊山龗神社オンライン渡御祭第十六日目 〜四神旗・奉納旗・白熊毛御長柄槍〜︎
令和三(2021)年 八戸三社大祭
法霊山龗神社オンライン渡御祭
第十六日目 〜四神旗・奉納旗・白熊毛御長柄槍〜︎
■ 写真1:四神旗(ししんき)︎
■ 写真2:奉納旗(ほうのうばた)︎
■ 写真3:白熊毛御長柄槍(びゃっきゅうもうおんながえやり、又はしろくまげおんながえやり等)︎
■ 写真4〜5:旗指物行列の様子
龗神社行列の特徴的な部分と言われるのが、旗持ちの多さなんだそうです。
まず最初の四神旗です。
ご存知の方も多いと思いますが、方位を司る四神の旗です。
東が青龍、西が白虎、北が玄武、南が朱雀とされ、古代中国の思想のもと、平安京なども四神相応に作られていると言われます。
正直言いますと、これ自体行列に導入したのは比較的近年の事で、古くからの所以等があるものではありませんので、これ以上の説明が無いです。
次に奉納旗です。
この旗が龗神社は多いと言われますが、写真ではそこまで多いようには見えないと思います。
奉納旗はその名の通り、個人法人問わず崇敬者から奉納された旗がほとんどで、奉納された方が亡くなられた場合、又は奉納された一族や会社が既に無い場合などは出す事が出来ない為、年々減ってきているのです。
私が子供の頃は、写真の倍くらいありました。
近年では長い事新たな奉納も無く、いつかはみすぼらしい事になるかも、と思っておりましたが、昨年旗の奉納に関してお問い合わせくださった方がおられましたので、少し増えたら嬉しいなと期待しています。
次に、白熊毛御長柄槍について。この槍は頭に丸い笠のようなものがあり、その周囲に白い熊毛があしらわれている事からこの様な名前で呼ばれます。
しろくまげ、はくまげ、びゃっきゅうもう、びゃっくぼう等様々いう方がおられ、どれが本当かわかりませんが、書籍ではしろくまげ、となっていました。
この熊毛がついた部分を外すと、中には穂と呼ばれる矢尻の様な部分があります。
この槍は八戸藩大名の南部家より江戸時代は文政4年、天保4年に寄進されたもので、大名行列の様相を呈している事もあり、領民に対しては藩の運営によって執り行われる祭の印象を与えますが、明治期になって以降は、大広間太鼓と同様に龗神社が八戸の総鎮守だと誇示するものとして出されていたようです。
この旗持ち、または槍持ちの装束ですが、基本的に頭は饅頭笠、黒麻衣を纏い、脇差を帯刀、足は草鞋を履きます。
黒麻衣は裾が長く膝辺りまでくるのですが、昔の人は夏場はそれを左右に捲り上げて着ていたそうです。
そして昔の人は、下は越中褌のままだったりしたそうですが、今そんな格好で行列したら警察の方に怒られてしまうと思うので、来ていただいている学校の指定ハーフパンツを履いてもらっています。
今、ちゃんとした下に履く装束を探している最中ですので、近く下も変わってくると思います。
それに対して四神旗は、立烏帽子に白丁と言われる狩衣に似た仕立ての物を着装し、下は白の馬乗袴で帯刀はせず、足元は草鞋を履きます。
これは四神、神を奉ずる所役である為、という理由で他の旗持ちとは装束が違っています。
以上、旗持ちから槍持ちまでのご紹介でした。