陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

社務日誌

法霊山龗神社instagramからの投稿

昨日に続き御神輿について。またその御神輿に御遷座頂く御祭神についての謎に関しても少しお話したいと思います。龗神社の行列では、御神輿は専用の台車に乗せて運行されます(写真1〜2)。この台車の製作は京都で、2014年までは馬が牽引していましたが、名称は「牛車」となっています。実は過去には牛が牽引していたそうで、牛の為の台車だったそうです。馬に変更された際に舵部分のサイズが小さすぎて合わなかったため、馬用の舵が作られました。馬暴走事故の際に警察の方で重量測定があったのですが、台車重量は約300kgである事がわかっています。また事故によって歪みなどがあったので、総代さんの会社で修理して頂きました(写真6)。8月1日午前に、この台車に御神輿を乗せる作業が行われます(写真3〜4)。この作業は主に法霊神楽士の成人男性が行っています。御神輿には、7月29日深夜に御神体をお遷しする遷座祭が行われますが、ここが謎の一つなんです。龗神社には御神体が2座奉安されていますが、この遷座に関して当社神職には、書物に残さず口伝にて「2座の御神体のうち、向かって◯◯側を遷座する事。」と伝えられています(言ってはいけない決まりなので、◯◯でご勘弁ください)。そして代々伝わる大祭祝詞には「年毎乃例乃龗大神乃大御祭仕閉奉留爾依里(としごとのためしのおがみのおおかみのおおみまつりつかえまつるにより)」とあるので、あぁ、って事はあっち側が高龗神の御神体なんだなぁ、そして反対側が法霊大明神って事か、と思っているのですが、ここが謎です。江戸時代に八戸藩が記した記録文書と当社の古文書には、法霊大明神の神輿渡御祭だと明記されています。それなのに何故龗大神の大祭?単純に考えると、祝詞が間違っていないとするならば、何処かの時期に遷座する御神体が変更されたという事になってしまいます。可能性として考えられるのは、聖護院本山派系山伏の神仏混淆であった当社が、明治の廃仏毀釈により神社となった際、同じ理由で山伏系の神による祭礼が難しくなった為に祭神の変更を余儀なくされた、って感じの理由かなと考えたりしますが、これはあくまでも私個人の想像であって、はっきりした事は今の所わかりません。どこかに記録残ってないかなぁ。何にせよ、記録は残していった方がいいなと思いました。今の八戸三社大祭は所帯が大きくなるにつれ、悪質な作り話をする人や思い込みで適当なウソを言い出す人が増えていて、問い合わせがある度に頭を抱える思いでおります。だからこそ、ちゃんと神社としての記録が必要なのかなと。#神社 #龗神社 #法霊山 #法霊山龗神社 #八戸三社大祭 #八戸三社大祭龗神社発祥三百年 #祭り #祭 #祭り好きな人と繋がりたい #神輿 #お祭り #三社大祭 #三社大祭龗神社発祥三百年
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