ドローンによる埋蔵文化財調査の撮影
埋蔵文化財調査の撮影の為、是川縄文館の方でドローン撮影を行っていました。
4枚目の深い溝が、以前書いた縄文期の落とし穴「Tピット」というものだそうです。
ただ、他で出土したものよりも深さがあるという印象なのだそうです。
5枚目の浅く長い溝は、集落を分割するラインの可能性が高いそうで、多分平安初期という事です。
この時代では集落同士の諍いや争いもあり、この様なラインで集落単位を分けていた為、その可能性が高いらしいです。
現在西側では近代的な道路建設工事、東側では縄文や平安の遺跡発掘というアンバランスな状況となっています(写真7)。
ちなみに写真に背中が写っている女性は、地元紙東奥日報の、美しすぎる新聞記者で有名かもしれないCさんです。
今年の八戸三社大祭の状況をスパイしに来ていたところ、偶然ドローン撮影のタイミングにあたり、そのまま埋蔵文化財の取材もされていきました。
そして写真8ですが、何なのか不明な遺構です。是川縄文館の学芸員さんも、現状では答えられないと言われました。
時代は縄文以前と推定されます。
その理由ですが、元々あった人工的な溝か穴の様な部分に土が堆積した跡があり、その堆積した所にTピットが掘られている跡があるという理由です。
下にいくほど時代が古いわけですので、最初に人工的な溝か穴が掘られ、そこに時代が進んで土が堆積し、さらに時代が進んでその上に縄文時代にTピットが作られた、という流れになります。
つまり最初の溝又は穴は、縄文より古い、という事が推測されます。
これが何か判明したらまた書きたいと思います。
また写真3の穴ですが、掘立柱の跡と見られるという事なのですが、全部ではないみたいですが、これは江戸時代の可能性が高いのだとか。
理由は、柱の間隔が江戸時代の建築の特徴的な様式に当てはまる、という事なんだそうで、良くわかるなぁと感心していました。
ちなみに、縄文時代と平安時代はわかるのですが、その間の時代のものは出てきていません。
また、集落跡が複数出ているにも関わらず、土師器などの出土が極端に少ないそうで、これも謎です。
この辺りも含め色々わかったらまた書かせていただきたいと思います。