令和五年3月21日 鈴ノ音団体祈願
祭龗神社としては、霊障など神社でお受けするのが難しい御相談の際にお世話になっております、八戸市小中野「鈴ノ音」さんの、団体による祈願祭が本日執り行われ、滞り無く納められました。
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御参列は20名、参列叶わず玉串料のみ御奉納された方が3名での斎行となりました。
毎年恒例となっておりますので、祝詞も合わせた内容にしようと作文し直しまして、内容としては、過ぎ去った1年間、神々の大御心に触れさせて頂き、今年もこの御社に参列が叶いました。
その為今日を佳き日と定めて奉賽の御祭を仕え奉る事と致しました。
今よりの将来は家も身も無事で生活は穏やかに楽しく、千々の願事を満たし、身は健やかに心はやすらかに過ごさせてください。
図らずも避け難き枉事災いが起こるとしても、兆しある前に海原の遥か遠くに祓い退けて頂きたいと願います。
そして晴れ渡る空に輝く陽の光に照らされて草花の華やかな彩りを映し出す、馬淵川の水面のように、麗しく穏やかに過ごさせて頂き、激しく吹き荒ぶ山背の風にも負けず、強く美しく咲き誇る三八城の園の若桜のように、心逞しく些かも迷い躊躇う事無く、己が歩む道に只管に励ませて頂きたいと願っています。
家も家族も益々に繁栄し、永く堅く守り恵み幸わい給います様恐れながら乞い願い申し上げます。
かなり大雑把に言うとこの様な内容の祝詞にしました。
祈願の通りに、皆さんが佳い一年を過ごされる事を願っています。
ところで鈴ノ音さんの祝詞を作文する際に思いましたが、というか祝詞作文の時には毎回思いますが、私は古典の美しい文章表現の引き出しが少なくて困るんです。
万葉集や古今和歌集、枕詞なども参考にするのですが、その中から「これだっ!」って思える表現に出会うまでに数時間要したり。
あとは地元の風景や地域性などを活かした言い回しに転用するためにアレンジを考えたりなどするのですが、一度これで行こうと決めて後から見直すと、何か気に食わないなってなったり。
特に、祝詞では多用される比喩表現、まるで何々のように〜、みたいな部分で悩む事が多くて、知識の幅が狭い事を痛感しています。
神々の立場に立って考えると、美しい言い回しで伝えられるのと、事務的に願い事を羅列して述べられるのとは違うんじゃないかと考えておりまして、私にとっては結構重要な部分です。
なんか参考になる文献などあれば教えてください。