市杵島姫命について その3
ちゃんと終わらせないと落ち着かないので、市杵島姫の件に関しての続きです。
前回の投稿を見た方から、一部誤解が出るのではないかと連絡を頂きましたので、その部分を先に追記します。
弁財天に関して、人が集まるという特性に集約される、そしてその条件として3つの事象を書きました。
そこで、人流がある部分に遊郭などが発達しする事を表現するにあたり、例に挙げた弁財天と言われる神社にあわせた解説になった為、事象が限定的になっている、要は人が集まるという部分を言いたいのであれば、そちらも補完した方がいいのでは?との的確なご指摘でした。
前回
▫️海上交通の要衝である
▫️重要な漁場若しくは荷上げ場である
▫️金属等の産出地にとって重要な位置にある
このいずれかに関係する事
としましたが、つまりは人が集まる部分というのが重要になります。
つまり宿場町及び陸路交通の要衝、茶屋街などの色街、鉱脈など労働者の集中する場所の近隣等も人が集まる場所として考えられ、その様な場所に発展した遊郭も存在するので、一部追加させて頂きます。
さて、市杵島姫は財産など何もかもを奪われ、囲いの娼婦の様な扱いで島から出る事も叶わなかった為、逆に娼婦(花魁、今で言う風俗産業従事者)の財産・自由・幸福を守る神となった、と私は考えているわけですが、これが現代になって拡大解釈され、風俗産業従事者のみならず、人々の財産の神とされたのかなと思っています。
さて、市杵島姫と本地垂迹説では同体と見做される弁財天ですが、以前龍神について書いた際にも言ったように、本来はヒンドゥー教を原点とする神で、それが仏教に取り込まれ、神道と集合した神であり、そもそも日本の神ではありません。
ヒンドゥー教では「サラスヴァティー」というそうで、仏教では「弁財天」、神道では「市杵島姫命」となるのですが、他宗教との習合過程で、それぞれの神や仏の物語は書き換えられたり、何が何だかわからないほどに混同してしまったものが多くあります。
私は個人的に、古事記は実際にあった出来事を物語化して書いたものであると考えています。だからこそ、それぞれの神の人生の歩みを気軽に書き換えたり、都合よく作文してしまうのは好きではありません。しかも市杵島姫とサラスヴァティーには全く異なる物語、つまりは人生があるのですから尚更です。
しかしながら、神話の様なあり得ない話を信じるのは馬鹿げている、くだらない作り話に真剣になるのは無駄な事だと言われる事があります。
では、今から1300年程前に古事記を編纂した方々は、こんな荒唐無稽な物語を、書かれた通りに実際起こっていたとみんなが信じる、そう思って書いた、という事でしょうか?
昔の人はそんな事も判断できない程に頭が悪かったって事?ちょっといくら何でも無理があるんじゃない?と前々から考えていました。ましてや国家の成立からの歴史と政権の正当性を示す為の文章が、そんな事では用を足しません。
だからこそ、秘められた目的や、書けなかった事、書かざるをえなかった事などが古事記には存在していると確信しています。
立場的に言う事が難しい事も多く、これ以上は躊躇われる事もあるため、もし古事記又は日本書紀を読む機会があれば、普通に考えたら違和感あるな?と思う部分に特に注意しながら読んでみてほしいです。
身分に対する考え方や男女の立場の違いなどに関する当時の常識部分などは別として、決して昔の人だから今とは感覚が違うんだろうとは思わずに、今の自分の感覚を基準に読む事をオススメします。
私が個人的にオススメするのは、竹田恒泰さんが書かれた古事記です。大変わかりやすく、古事記が面白いと感じるきっかけをもらいました。
最後ですが、写真は八戸の弁財天と言われる蕪嶋神社さんの新社殿内にある階段です。御本殿や拝殿は二階にあるため、この様な立派な階段がありました。