令和四年8月22日 新川神社 秋の例祭
本日、龗神社にて毎年御奉仕させて頂いております、新川神社の秋祭りが斎行されました。
■鎮座:青森県八戸市沼舘2丁目37
■祭神:瀬織津姫神
地域の口伝によると、新川神社は龗神社の御祭神一座御分祀によって馬淵川の鎮めとするべく、寛延年間に創始されたと伝わります。
その為、新川神社は龗神社の境外末社とされていると聞きます。
さて、毎度新川神社の投稿の折に触れている瀬織津姫さんについてです。
創建時新川神社御祭神は龍神とされ、これが当時から瀬織津姫を指したのか不明ですが、確かに瀬織津姫には龍とされる一面が論じられる傾向があるのは事実です。
また、龗神社主祭神の高龗神の別名は瀬織津姫神とするものもありますので、正直瀬織津姫はあまりにも不明で難しい神です。
ただ近年、なぜなのか大人気の神でもあります。
江戸自体の国学者として有名な「本居宣長」によると、瀬織津姫神と禍津日神(マガツヒノカミ)は同一であると論じられます。
名前からも分かる通り、禍事災い厄災の神です。
そして瀬織津姫神であろうと禍津日神であろうと、いずれにせよ大怨霊神である事に変わりありません。
すると、どうして川の氾濫を鎮める為に大怨霊を祀るのか?となりますが、これは瀬織津姫に限らず、日本全国で見られる、日本的な概念によるものと考えられます。
「怨霊は怨霊をもって鎮める」
これが全国で最も一般的な神社の在り方であると多くの研究者は口を揃えます。
そして私もこの説を絶大に支持しています。
そして水に関わる多くの神々が怨霊として祀られ、瀬織津姫も例に漏れないと考えるのが妥当であると思っています。
とは言ってみたものの、瀬織津姫さんについては今ひとつわからない、言いにくい、その様な事が多くてハッキリしません。
私として言えるのは、明治以前まで「神明さん」とは天照皇大御神ではなく、瀬織津姫神であった、という事実です。
何を言いたいか分かりづらいでしょうが、ピンと来た方もおられるでしょう。
瀬織津姫神の立ち位置一つで多くの神話研究は発展若しくは崩壊を迎える可能性があると私が思う程に、一般的な認識よりも恐ろしい程に重要な神であると思います。
なので引き続き時間を見ながら勉強していきたいと思います。