神職って何を本義とする人?という話と自衛隊員の苦悩の話
本日沖縄県から厄年祓いにいらした方との会話を含めた話。
この方自衛隊員で、現在那覇に配属されて単身赴任中だそうです。
休暇で帰省中にお祓いを受けにいらしたという事で、さすが自衛隊員、拝礼の際の背筋が伸びていて美しい拝をされておりました。
終了後少し話をしましたが、奥さんが言うには、お子さんの学校や近所の方には旦那さんが自衛隊だとは言いづらくて言っていないのだそうです。
自衛隊員ではあるあるネタなんだとか。
税金でメシ食いやがって、憲法違反の分際で、国防なんかに大金つぎ込むなんか税金の無駄遣いに加担してるなどなど、様々な言われ方をする事もあるらしいと。
噂では聞いていました。
しかしその割に東北の太平洋沿岸では、東日本大震災の時には自衛隊によって命を繋いだり、最低限の生活を確保できたりした事実もあります。
憲法論議や思想の問題を別として、道徳心として一体どういう感覚なのかと思います。
困った時は平気で世話になり、いざ自分の個の部分で不要となれば批判をする。
繰り返しますが憲法や学術論議になれば様々な考え方や議論があるのは当然である事を理解していますので、そのような見地から批判する話ではありませんし、そういう議論をする気もありません。
あくまで人の道としてどうか。
そんな感じの話をさせて頂きました。
さて、この話の中で私から話した内容で、神職のなすべき事は何か?という話にもなりました。
自衛隊の方々は存在自体を抑止力とする事や、話し合いの通じないような敵国からの国民国土防衛、今現在ほぼ毎日起きている領空領海侵犯などへの対応、また災害時の人道支援など、命の危険を伴いながら物理的に日本の国を守っています。
対して我々神職は何をする人?といえば、一般的には「お祓いをする人」と言われる事が多いです。
それもそうだと言えなくもありません。
でも神職の役割は
祭祀の厳修と氏子の教化育成
とされます。
この中で教化育成という部分は特に勘違いされやすい部分じゃないかと思っています。
他の宗教と違い、神社神道には聖典や教義が存在しません。
この事が、神社神道は宗教と言えるのか?という国際的な議論の糸口になっていますよね。
だから学術的にみれば、教化育成といっても、神道の神々の御神徳や御利益、その有り難みなどを教え広め信者を募る、というのとは違うと思います。
私の認識かも知れませんが、民族的な歴史を学び、その上で国家国体の礎となる国民性を育む、その歩んだ歴史の体現の一つとして祭祀や祭礼を厳かに伝承し、公衆に触れる機会を守る事が教化育成、と考えています。
要は自衛隊が物理的に国を守る事に対して、神職は精神的な国民性を守っていく、という事じゃないかな?と思うのです。
我々日本人の歩んだ歴史は、全てが正しいことばかりではありませんでした。
それをも含め「正しく」伝えていく事、というのが重要です。
私はそれを自身の職責と考えていますし、多くの神職さんが国体や民族性、歴史認識というのに敏感である事は間違いありません。
現在でも神道に対する風当たりが厳しい部分が多いのは事実とは言え、戦後神社は民間法人になり税金で給与をもらっている訳じゃありませんので、その部分は自衛隊ほどに批判を受けませんが、自衛隊員の皆さんは苦悩する部分も多いのでしょう。
何せ今の日本国民で、日本には敵国と認識すべき国が存在しているという認識を持っている人は少ないでしょうから、自分達が軍事的脅威に晒されている認識を持っていない為に、自衛隊の抑止力の必要性を疑問に思う可能性があるからです。
実際日本政府は脅威とする国は記するものの、敵国、または仮想敵国というものを公にはしてないので当然といえば当然ですね。
でも近隣の大陸や半島は日本を仮想敵国と認定していますが、それすらも知らない人が多くいるようです。
神職が国体、民族性、国民的精神性を守り伝承する為に人生を捧げていると理解してくれる人は少ないでしょうが、理解されないから職責を果たさない、又は目的変更するという事は通常ないでしょう。
同じく自衛隊の皆さんも、どれだけ国土や国民の生命財産を防衛する為に厳しい訓練に耐え、命を賭して使命に燃えたとしても、批判は起き続けるのでしょう。
本当に日本が敵国の物理攻撃を受けて戦闘状態へと突入したらわかりませんけど、平和と思っているうちは批判に晒され続ける気がします。
物理面、精神面とアプローチは異なるものの、お互いの目的も、逆に理解されずに批判を受けてしまう面も似ているなぁ、と思ったりしながら祈願主さんのお話を伺っていました。
特に沖縄は、一度赴任しないと出世できない、と噂に聞くほど大変な場所と聞きますので、無事務めを果たされて帰って来られる事を祈念致します。