江戸時代の山車人形「武田信玄」「太公望」の躯体などを修繕する事業を行う事になりましたというお知らせ
表題の件、此の度文化庁助成事業として認定頂き、実施する事となりました。
この山車人形は、装束を含む人形自体とその台車となる屋台部分を含め、現在八戸市の有形民俗文化財の指定を受けているものです。
以前の教育委員会社会教育課の調査の折、オリジナリティあふれる適当修繕の跡が複数見つかり、担当のN女史がキレかかるという事態が発生していました。
とても恐ろしかったです。
その現況を打破すべく、呆れたNさんが文化庁の助成事業に申請してくれて、無事助成対象としての認定を頂きました。
今後の実作業に向けて修繕するべき箇所の確認などをする必要があり、本日静岡県から、専門家である「日本人形文化研究所」の林先生にお越し頂く事となりました。
やはり専門家、見るところが全く違います。
例えば太公望の顔、見た瞬間にこれは京都の制作ですね、と。
顔の作り、目の入れ方、胡粉の感じなど、どこをとっても京都じゃなきゃできない素晴らしい技術だと仰っていました。
現代では胡粉を使ってこのレベルの仕事はもう出来ないというのが現実です、だそうです。
構造に関しても謎と思っていた部分が簡単にわかってしまったり、間違って使用していた部分を当たり前のように修正して頂いたり。
但し、例えば武田信玄の甲冑が、普通の人形は和紙などを使用して作られるのが一般的にも関わらず、なぜ本物の甲冑なのかなど不明な部分もあるそうで、寄進者の文献などがみたいですね、と。
教育委員会によるとこれが大変難しい事なんだそうです。
まず太公望を寄進した近江屋さん、現在陸奥八仙などの酒造りをしている八戸酒造の一族が近江屋さんで、そこが寄進してくれたと思っていたのですが、現在の八戸酒造は元の近江屋さんとは別なんだそうです。
現在の八戸酒造さんは、江戸時代から続く代々の近江屋さんから酒造免許を買い取った方々で、山車人形に関連する古文献などがある可能性は低いのではないか、との事。
そして武田信玄を寄贈した河内屋さん。
龗神社の筆頭総代でもあります。
実は以前河内屋の当主本人にも古文献に関してお願いしたのですが、膨大過ぎて探しきれない、家来た時に蔵見たことあるでしょ?他の場所も含めて探すのは現実的じゃないよ、と言われてしまいました。
たしかに…
という事で先生にも説明して、人形自体を調査しながら様々考えていきましょう、という事になりました。
今後凡そ一年間に渡り躯体修繕作業が行われていく事になります。
進捗で面白い部分など、逐次お伝えしていきたいと思います。