教育委員会社会教育課との話し合いで三社大祭の将来を真剣に考えて悩み合った件
本日は八戸市教育委員会社会教育課の方々に来社頂き、八戸三社大祭の件で様々ご相談させて頂きました。
相談があるなら自分で出向け、って話なんですが、ちょっと込み入った話で公に話すには憚られる部分が多かったので、お願いして来て頂きました。
本年度の大祭がどういう形であっても伝統と精神の継承には必要な事である、と思っている部分があり、コロナ禍で加速度的にその必要性が早まっていると感じていたので、今この件をペンディングにすればきっと長い事問題を抱えたまま進むであろう、そして打撃も壊滅的かと予測していますので、どうしても話しておきたかったのです。
一つは山車組と神社の関係性が如何にあるべきか、という問題。
神社とその附祭は、互いにある程度の相互責任を負うべきであると私は考えますが、それは山車組の活動に部分的な制約が発生します。
しかしそれであっても意義の方が勝る活動基盤を形成する事は、相互にとって有益である、という関係性が明確になければ、近い将来破綻していくと思っています。
抽象的で分かりづらいでしょうが、言葉で言うより結果で示していく考えですので、長い目で見て御理解頂きたいと考えています。
また三神社合同祭である以上、龗神社とその関係団体だけが良ければいいという事ではありませんので、将来的には神社間での情報共有などもしたい考えです。
次に財源問題。普通八戸市内の殆どの神社で祭祀を執り行う場合、予算的に足りない部分を行政が何らかの方法で支援してくれる、などという事は当然ありません。
しかし三社大祭では、観光への寄与が大きい部分などもある為に、神社も山車組もそれが当然の様な理解で進んできました。
常識的に考えてまともじゃありませんよね。
この結果、大祭関係者側は行政への支援を上から目線で要求する関係性が見受けられるなぁと感じていました。
(政教分離に反しない様に配慮はされています)
きちんとした精神性や考えを伝えて来なかった神社の責任は大きいと思っていますが、甘やかしてきた行政も責任はあると思います。
未来永劫に渡ってこの様な補助が行政から出る事は当然保証されていませんし、無くなったり減額された場合、山車組は潰れていくだけなのか、それとも事前に対処を考え自助努力を行なって維持運営していくか。
また維持する為にはどういった方策が考えられるか、など。
私の思い、社教の考え、VISITはちのへから聞いている事など、様々話してみました。
その他にも多くのトピックに関して意見交換しましたが、もう時期的に余裕こいている程の猶予はなさそうですので、真剣に頑張っていきたいものです。