八戸三社大祭法霊山龗神社オンライン渡御祭第十日目 〜三階の松〜︎

令和三(2021)年 八戸三社大祭
法霊山龗神社オンライン渡御祭
第十日目 〜三階の松〜︎

■ 写真:三階の松(さんかいのまつ)

法霊山龗神社instagramからの投稿

協力:白陽写真館、八戸市教育委員会社会教育課

オンライン渡御祭を始めようと準備を始める前から、私が最も困っていたものが、この三階の松の存在です。
行列内に存在する理由が全く分からなかった為です。

宮司とも様々話したものの、物心ついた時からあったのは記憶している、としか言えないと。
強いて言うなら三階松という家紋があるのを知っている程度、だそうで。

散々調べましたが中々しっくり来る理由どころか、関連しそうな情報自体が皆無に等しく、才女と名高いと噂かも知れない八戸市教育委員会社会教育課のKさんに泣きついて、情報をくださいとお願いしたのですが、逆に困らせてしまい迷惑をかける結果に…

という事で全くわからないので、ここからの解説は私個人の想像に基づく説です。
確証など一つもありません。︎

■ 玉串(榊)説
三階の松には年縄紙垂(としなしで)がついています。

一般的に玉串奉奠で奉る榊にも紙垂がありますが、松も榊も常緑で、生命力や繁栄の象徴とされる為選ばれるのだと言います。
だから神前に奉る生命力の源として、三階の松を行列に供奉させる、という考えです。

ただ、そうであれば榊の枝でいいじゃないかとなりますが、榊に紙垂や幣束で構成される、依代の神籬(ひもろぎ)と区別する為に松にした、という説です。

しかしながらこの説では大きな矛盾が発生します。
上記であれば行列での位置は神輿直前が妥当ですが、随分と離れています。

あくまでも無理矢理こじつけた説、ってところです。︎

■ 幣帛(へいはく)説
神に奉る幣として存在するという考えです。
上記玉串も本来同じ考えなのでしょうが、どちらかというと神饌と同じく、献上品として麻や絹などを奉る幣帛の変化系としての松、という部分が異なります。

しかしながら後日紹介予定の金幣というものがあり(詳細はその時書きます)、その趣旨とかぶる為、この説も非常に弱いです。︎

■ 縁起物説
めでたい松を縁起物として出す事が目的、という単純な説です。
もし龗神社が天満宮だったら梅だったのでしょうか?

単純すぎて馬鹿げているような感じもしますが、もしかしたら本当にこれが理由かも知れません。︎

■ 影向の松(ようごうのまつ)説

能舞台では必ずと言っていいほど鏡板に描かれている松と同じ理由、つまり神の依代や、又は神の化身としての松、という説です。

能舞台に松がある理由として上記のような話がされるのは、中世後半以降に創作された比較的後付け的な話とされますが、三百年の歴史の三社大祭よりは古いわけですので、無いとは言えません。

ただ、多分無いとは思います。︎

■ 結界説
近代になって本来の意味が知られなくなりつつある鳥居等と同じ、結界、という考え方です。

なぜなのか、怨霊神の怨念は曲がる事が出来ず直進しかできない、という概念が古来から存在します。
この概念を日本人が知らなくなったのは、ここ100年程度の話だそうです。

その為に神を禁足する目的で鳥居や注連縄、紙垂などがある、とされていたものが、近代になって急に意味の変遷を遂げたそうです。

明治生まれで92歳まで生きた曽祖母が、昔はおっかない神様におとなしくしてもらう為に鳥居建てて縄張って紙を下げると教えられてたものが、戦争の頃気付いたら意味が変わってた、と言っていました。

子供だったのでちゃんと聞いてなかったのを今は後悔していますが、そういう事らしいです。

民俗学的見地でいけば、他にも参道を急角度で曲げる、水を湛えて橋を架ける、鳥居をいくつも設けるなども怨霊封じの意味があるそうです。

これらはあくまで民俗学の一つの見解にすぎないものの、これらを参考にして考えたのが、松に紙垂を下げたものを御神輿の前方に配する事で御祭神の怨念に対して結界を設ける、という説です。

また榊は「栄える木」の意味の他、「境の木」つまり境界を意味する木という話もあったりするので、常緑の木が持つ意味を拡大解釈してこんな事になりました。

いつか書こうと思っていますが、龗神社の神様、特に法霊明神は、八戸で一般に知られる由緒とは別の当家神職のみに口伝される本当の由緒があり、その中では大怨霊とされますので、こんな説を考えてみました。

以上、三階の松に対する、非常に勝手で根拠のない個人の説を並べてみました。
これ以上論ずる情報を持っておりませんので、今回はこの程度で。

また、何か知っている方がおられましたら是非とも教えてください。