法霊山龗神社instagramからの投稿
【歴史ロマン】義経北行伝説第八回「類家稲荷大明神縁起」今回は類家稲荷大明神縁起の7ページ目のご紹介です。1ページ目の投稿に記載されている注意事項等を踏まえてご覧ください。—————️ページ6の最後(前回と重複)その一帯に人を️ページ7入れず、樹木を生け立てなされられた山を、その時代には地域においては長治山と申されていたのを、現在では長者山と称え申し上げるのである。この板橋長治という人は、平泉の人で和泉の三郎殿(藤原秀衡の三男、泉三郎忠衡)という方の母方の叔父のようである。和泉の三郎殿にとっては無二の忠臣であり頼もしい人である為、和泉の三郎殿よくよく言い聞かせ、金百両(本文献が書かれた江戸期の価値でという事)を預け置かれたという謂れが申し伝えられている。間違いなくこの事は何かしらの書物の中に(書かれて)なければならないのだから、いずれは耳に入り調べて明らかになるのが当然であると話した。さてこの人、ご家来衆を引き連れて両人(板橋長治と喜三太)まずここ(長者山)に下着、ここを選定なされた時代はいかにも、山根山根(山のふもと)などに百姓やらなにやらいやしき(粗末な)小家などが間に一軒、ニ軒ずつここにあるものの、—————7ページ目はここまでとなります。長者山には、現在八戸三社大祭の三神社の一つ、長者山新羅神社が鎮座しており、住所も長者となっております。#法霊山 #法霊山龗神社 #歴史ロマン #源義経 #源義経伝説 #義経 #義経伝説 #義経北行伝説 #義経北行伝説の地 #八戸三社大祭龗神社発祥三百年 #三社大祭龗神社発祥三百年 #義経好きにはたまらない #源義経伝説がある神社 #義経伝説が残る古社 #古文書 #古文書を読む #伝説好きの皆さんはこちらへどうぞ #伝説好きな人と繋がりたい #歴史伝説