終戦の日
先の大戦に於ける戦没者の御霊に、慎んで哀悼の誠を捧げます。
日本では、ポツダム宣言受諾後もロシアの火事場泥棒としか言いようのない侵略で、無条件降伏後も戦闘が続き、多くの国民がその命を奪われ、故郷を乗っ取られています。
私の学生時代の先生にも、北方領土を追われて逃げた方がおられ、生まれ故郷に帰れない悔しさや自分達を守る為に戦った軍人達が散っていく悲しさを語っていました。
しかし我が国も、アジア諸国共闘し、西欧勢力の植民地支配から独立するとして大東亜共栄圏を掲げたものの、東アジアなど各地を侵攻、現地で行った残虐行為や乱暴狼藉の類は未だ傷跡を残したままです。
これらはそう遠くない過去に起きた現実ですが、しかし我々は、戦争の悲惨さ、悲しみや苦しみ、残虐さなどを体験した事がありません。
そしてまたその記憶は、現代の豊かな生活の発展とともに、すでに過去のものとして真剣に考える事を放棄しつつあります。
我々神職は、その資格を得る為の過程や神職として奉職していく過程で、必ず戦争の事に触れる機会があります。
日本の神社は戦争に向かう諸悪の根源であるので、神社を潰そう、というビラが撒かれた事、神道の思想は危険思想であるので国家と分離すべきであるとして神道指令が出された事、神道を宗教と位置付けなければ政教分離をなせないとして、国家の宗旨(主義)であった神道を無理に宗教とした事など。
※細部違っていたら申し訳ありません。
そして国幣社、官幣社など社格制度の上位にあった神社は、潰されないようにと、例えば社号票の「国幣小社」などと彫られた部分をセメントなどで埋めて隠して神社を守っていた事。
また、現代日本の国家の礎となられた尊き御霊に対して慰霊祭・英霊顕彰を青年神職が毎年行うなど、歴史的には国体国民性に根差す神道に奉務する神職の使命と思い、戦争の記憶を残していく事を忘れないようにしているつもりでいます。
もし今一度世界大戦となった時、思想は別として現実的には我が国は関係しない道を選択する事が困難かと思います。
その時が訪れた際、過去の過ちや反省を知らず繰り返す事、また現実を受け止めずその身に降りかかるまで他人事としてしまい、命を危険に晒してしまう事などあってはなりません。
戦争はゲームで勝った負けたとは違いますので、自分や家族親族、友人知人の幸せや命に関わる重大事です。
今我々が言論に自由があり、日本人と呼ばれ、日本語を話し、文化的な生活を送れる意味を今一度考え、どうか先の大政翼賛会の様な政策が繰り返される事の無い様、私自身も含め皆が真剣に考え伝えていきたいと思っています。
そして子供達に対して、年相応の社会性をもって学び教えていく事の重要性を噛みしめ、自国を守り平和な未来を子供達に残す為には何が在るべきかを深慮し、実現していける事を切に願っています。