陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

社務日誌

法霊山龗神社instagramからの投稿

独り言みたいなもの。猿田彦大神って意味わかんない神様だよなぁ、って最近ずっと思っております。=塞の神、=道祖神、=青面金剛、=庚申など、様々な顔を持つ神でありますが、古事記などの神話から導きの神という面ばかりがクローズアップされて知られている神です。また猿田彦大神 = 佐田大神って言う話があって、現在もその様に言われ続けているそうですが、この説の初見は江戸時代に平田篤胤が言い出した事だそうで、御祭神として奉る佐田神社側は佐田大神は猿田彦とは別であると主張したものの、明治になり大人の事情で佐田大神=猿田彦大神を受け入れざるを得なかった、なんて話もあります。そして何よりどう理解するべきか難しいのが、猿田彦大神は太陽神であり、伊勢一帯の地主神であるという点です。伊勢に坐す太陽神といえば女神である天照大御神というのが誰もが存じるところでありますが、確かに古事記の一文では、天と地を輝かしく照らす神が天の八衢に立っていた、名を尋ねると国津神の猿田彦であると名乗った、的な記述があり、あたかも太陽神を想像させる為、どう考えるべきかと一人悩んでいます。そして普通に考えたら名前もおかしいですよね?猿って蔑称に使われる言葉ですし、卑弥呼の卑しいって字と同様、当時の大陸が卑字を充てて下に見ていたというのと同じ感覚で「猿」って文字が充てられたんじゃ無いかと思っています。だから本当の、本来の名前は違うんじゃないか?と勘繰ってしまうところです。以前、八戸三社大祭オンライン渡御祭ってのをこのアカウントで行った際に猿田彦についても書きましたが、とにかく太陽神であったとすれば、記紀の記述では良い扱いを受けていないように感じるので、余程の歴史的大事件に関わった、大和朝廷側からは良く思われていなかった神なのかな?そんな気がします。まだまだ書きたい事は多くて詳しく書いている余裕が無いのですが、日本神話は史実のオマージュの様な要素があると考えている私としては、モデルとなった出来事や人物は存在していたと考えていますので、時間の余裕を見ながら調べたり実際に関係する場所を訪れたりしたいなと夢見ています。特に、猿田彦を祀る総本宮にして伊勢國一宮である「椿大神社」には行ってみたいですね。とはいうものの、いつになったらその時間的余裕ができるのか…#神社 #神社仏閣 #青森県の神社 #八戸市の神社 #八戸の神社 #青森県 #八戸市 #青森県八戸市 #八戸 #総鎮守 #八戸総鎮守 #龗神社 #法霊山 #法霊山龗神社 #おがみ神社 #猿田彦 #猿田彦の謎 #日本神話 #太陽神
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