八戸三社大祭法霊山龗神社オンライン渡御祭第二十四日目 〜斎主〜︎
令和三(2021)年 八戸三社大祭
法霊山龗神社オンライン渡御祭
第二十四日目 〜斎主〜︎
■ 写真1〜2:斎主(さいしゅ、又はいつきぬし)
行列最後に位置する神職が斎主です。
通常は龗神社宮司が務めます。
最初にお断りしておきます。
斎主の前に巫女がいますが、これはつい最近急に付け足されたもので、昔からのものではありません。
宮司が当時小学生だった私の娘にお祭り出たいと泣きつかれ、即座に京都の三上装束店さんに電話して、自腹で子供用の巫女装束一式を買い与えて自分の前に配置し、神楽鈴を持たせて清祓いをさせる、という所役を誕生させてしまいました。
まぁ一応ちゃんと清祓い出来るように祓詞を暗記させて、ただの飾り者にならない様に配慮はしましたが…
その為解説も特にないので、宮司が甘やかしすぎた結果生まれてしまった所役です、という説明で失礼させて頂きます。
さて、斎主に関してですが、江戸時代は神道式ではなく修験道に基づいていたようです。
服装も修験者そのものだったようで、頭には頭巾を被り、鈴懸(すずかけ、修験者の装束)を着て、大小帯刀し、金剛杖を持ったとされます。
また名称も斎主や宮司ではなく、別当(べっとう)とされていました。
それから時代が移り、明治政府の神仏分離や廃仏毀釈の流れの中、当時法霊社と呼ばれた当社も龗神社と名称が変更され、純粋な神道式に改める様通達があったそうです。
その中では、現在の山伏装束は間違いであるので、全ての装束を神道式に改める様に通達があり云々、と私共の先祖の日記には記載されており、仏式に基づく一切が排除され、現在に至ります。
現在の斎主装束は、やはり本来であれば正服である神職身分に基く赤色の袍を着装しなければなりませんが、時間などの都合上、袍ではないものを着装します。
副斎主同様に、単の上に神紋柄の小直衣を着装し、頭は冠、手には笏を持ちます。
所役を有するのではなく、あくまで斎主として行列に存在します。
行列での位置に関しては、はっきりした事はわからないものも、我々神職が学ぶ教本「神社祭式同行事作法解説」にある神幸列次に基づいているものと思います。
ちなみに先日の日月旗なども、その列次の記載がありますが、目的までは記載がありませんでした。
祭式の定めによると、行列は御神輿を中心に、前を前陣、後ろを後陣として列を立てるとあり、昨日の龍蛇神幟旗から後ろが後陣とされる事になります。
以上、斎主の解説でした。
この次は最後の伝統芸能、左比代虎舞の紹介です。