八戸三社大祭法霊山龗神社オンライン渡御祭第七日目 〜笠鉾〜︎
令和三(2021)年 八戸三社大祭
法霊山龗神社オンライン渡御祭
第七日目 〜笠鉾〜︎
写真1〜3:笠鉾(かさぼこ、又はかさほこ)
協力:白陽写真館、八戸市教育委員会社会教育課
笠鉾は山車の一種とされます。
元を辿れば傘の上に鉾をつけたものだったそうですが、海外文化の流入と共に華やかに変化を遂げ、現在のようなものになってきた側面を持つそうです。
笠鉾には現在様々な形が存在し、長い鉾先がそそり立つものや唐破風屋根の取り付けられた館形をしたもの等があります。
写真のものは亀の背に宝珠が乗った形状のもので、これを指して笠鉾、と思いがちですが、下の台車までを含めて笠鉾と捉えるべきかと思います。
実際は鉾では無いわけですが、他のお祭りで見られる笠鉾の構造を見るに、亀の部分は鉾先、となるのではないかと考えます。
この鉾の台座には「龗」と一文字書かれていますが、元々のものには「八日町(ようかまち、八戸市内の町内名)」と書かれていました。
つまり元は八日町町内の出し物だったものです。
それを参考に復元新調されたものが写真の笠鉾で、先代宮司が行列内に復活させ、現在運行するに至っています。
八日町と入った原盤は、現在は龗神社の宝物殿に展示されています(写真4)。
この笠鉾は、神の依代、つまり神が降りているものだ、と主張する方がおられるようで、そのように書かれたものを見た記憶がありますが、他のお祭りでの笠鉾はわからないものの、少なくとも三社大祭における龗神社の笠鉾は違います。
何故そう言えるのかと言うと、単純に我々龗神社神職が、笠鉾に対して降神、つまり神を降ろす行為をしていないからです。
笠鉾を含む山車が神の依代、ある意味の神籬(ひもろぎ、神をおろすための物理物体の事)であるならば、降神詞を奏上し、神を降ろして初めてそう言える訳ですが、そんな事していません。
お祓いをして御霊を幸わえば依代だと主張するならば、新車のお祓いにいらした方の車は全て依代になってしまいます。
そしてもう一つ、依代として神を降ろすのであれば、絶対的に必要な事が発生します。
神をその依代に禁足する、という事です。
※禁足の正しい意味に関しては過去の投稿を参考
民俗学的な話をすれば、例えば注連縄(しめなわ)を張って紙垂(しで、神棚前などに下げる稲妻に似た形の紙)を下げる、等は神を禁足する一種の方法と考えられるわけですが、そういった設えが無い状態で神降ろしをするというのは、例えその設えに関する目的や考え方がどうであったとしても、通常無いのではないかと思います。
そもそも御神輿に御神体が坐すにも関わらず、附祭の笠鉾にも神を降ろすという発想自体がよくわかりません。
但し、他のお祭りなんかで笠鉾を依代としているものがあるならば、それには何かの意味があってのものだと思います。
あくまで龗神社では違いますよ、という話です。
龗神社には、三社大祭に関する様々な問い合わせが毎年必ずあり、一般の方から大学等教育機関の研究者の方まで、色々な質問を受けています。
すると、Wikipediaをはじめインターネットに書かれている事を間に受けて、間違った知識を信じてしまっているケースも多くあります。
忙しい時だと訂正して細かく解説する事もできず、個人の思い込みや都合に合わせた作り話が一人歩きした上に更に拡散する、悪い循環に陥ったりします。
笠鉾依代説だけではなく、この様な事で社務に多大な悪影響が発生しますので、関係者の皆さんには特段の配慮をお願いしたいです。
以上、龗神社の笠鉾についての解説です。
明日は江戸時代の屋台山車を紹介します。