八戸三社大祭 法霊山龗神社オンライン渡御祭 第五日目 〜猿田彦〜︎
※閲覧注意を含みます
令和三(2021)年 八戸三社大祭
法霊山龗神社オンライン渡御祭 第五日目 〜猿田彦〜︎
■写真1〜2:猿田彦(さるたひこ、又はさるたびこ)
神幸行列では多くの場合登場するのが猿田彦です。
天狗と言われますが、猿田彦と天狗は大きく違います。
神代、天孫降臨の際、道案内をした神が猿田彦と言われます。
つまりは神(国津神)です。
またこの神話から、神を先導する所役の神として行列の前方に位置します。
それに対して天狗は、一種の妖怪、又は魔物とされ、山伏の様な身なりで薄暗い山間部等に出現すると言われます。
また山の神や神仏習合の神として、修験の影響が色濃く残るものもあります。
確かに天狗のモデルは猿田彦と言いますが、実情は異なる猿田彦と天狗が同一とされるのは、その容姿の共通点が影響しています。
猿田彦大神は鼻が長く(七咫、110cm近く?)、目がホオズキの様に赤く輝く、とされるのに対し、天狗は赤ら顔で鼻が長く、一本足の高下駄を履くとされます。
この、鼻の大きさと「赤い」という抜粋から、天狗と猿田彦は同一に見られますが、このイメージ定着は文献から見ると室町辺りとされるものの、民間では江戸時代、特に百物語等で怪談話を楽しむ文化の普及が影響したと私は思います。
猿田彦大神は佐田大神等とも呼ばれ、猿田彦神社、佐田神社などの祭神ですが、「塞の神」「道祖神」「岐神」等ともされ、悪神侵入を守護する、道の辻、分岐に立ち、悪しき物の侵入を守護する等とされます。
また神話研究の一説では、元々伊勢の地は猿田彦の統治下だったが、天孫族に敗れ、幽界へと送られた神であるとする説があります。
記紀には猿田彦を送り届けよと天鈿女に命じたとありますが、古来「送る」とは「葬る(はふる、ほうむる)」の意味である為、現代語の見送りと翻訳するには無理があり、天鈿女に命じ猿田彦を葬ってあの世に送れ、と解釈すべき、という説です。
その後天鈿女は、伊勢を拝領し猿女氏を名乗ったものの、結局口封じで葬られたとされます。
同じく神話研究の一説では、赤ら顔は金属資源を有する事の象徴とする説があります。
辰砂(朱砂)という赤色硫化水銀を有する産鉄民である為とか、製鉄過程で熱により顔が赤くただれていた為等が赤ら顔の理由とされます。
また雑伝では、猿田彦=キリスト、という有名な話もあります。
キリストは伊勢で伊勢津彦、又は五十鈴彦という国津神で、石切彦という弟神がいましたが、これがイスキリで、イエスの代わりに十字架にかけられ、イエスは伊勢から日高見国を目指し北上、北海道からロシア経由でアラスカに渡った、等と伝わるそうです。
↓-以下閲覧注意-↓
ここからは神道では無く、民俗学等の見解を元に性的表現を含む記載があります。
さて、猿田彦と同一とされる道祖神ですが、男女2柱で描かれる場合が多くあり、伊弉諾と伊奘冉、又は猿田彦と天鈿女の夫婦神と比定されます。
この道祖神は岐神(くなどのかみ)とも言われますが、これは「くなど=くなぐの変化形」と考えられます。
「くなど」は男性部分の意味で、また「くなぐ」は男女の交わりを現す古語で、そのまま男女の性的な関わりを象徴する神、と理解されます。
ここで、猿田彦の目立つ特徴の最も有名なもの、鼻が大きいについてですが、これは男性部分が大きい事を表現するものとする説があります。
現代でも鼻の大きい人はアソコも大きい、等という都市伝説がありますが、実はこれ、猿田彦のエピソードが原点だとする説がある程です。
なので鼻が長いのは、猿田彦の男性部分が大きい事の揶揄ではないかとされます。
これは冗談ではなく、鎌倉時代の「古今著聞集」には、摩羅は伊勢摩羅が最上、都毘(つび、女性部分の事)は筑紫都毘が第一、とあったり、金精神として男根の形の御神体を祀ったりなど、この手の文化というのは実際に存在しますし、今でも男性部分を指して「マラ」と言いますよね。
日本では、比較的つい最近まで性的表現に対しては意外と大らかで、現在とは全く感覚が違いました。
そして猿田彦は伊勢の土着神、天鈿女は日向国に帰ったという記述から筑紫の神とされますので、まさに伊勢と筑紫です。
以上、猿田彦には性的象徴の側面をも垣間見る事があるよ、という一つの説について書きました。
本当はまだありますが、今回は行列の猿田彦についてなのでこの程度で。
最後に、猿田彦の装束は鳥兜に天狗面、手には鉾に比礼旗と大うちわ、派手な狩衣仕立ての装束に派手目な差袴、大太刀を帯刀し、履物は一本足の高下駄となり、横には供人が付き、面で視界の悪い猿田彦の補助を勤めます。