八戸三社大祭法霊山龗神社オンライン渡御祭第二十二日目 〜紅白幟旗・御神輿〜︎
令和三(2021)年 八戸三社大祭
法霊山龗神社オンライン渡御祭第二十二日目 〜紅白幟旗・御神輿〜︎
■ 写真1〜2:紅白幟旗と御神輿︎
■ 写真3〜4:御神輿
発祥から今に至る迄、行列神事が斎行される全ての根拠を集約する唯一のもの、龗神社御神輿の紹介となります。
まず最初に、御神輿の四方隅を取り囲む様に配置される、紅白幟旗です。
この意味するところは全くわかりません。
宮司に聞いてもわからないと言われました。
ただ、先代から気になる事は聞いた事があり、それが参考になるかも知れないと言われました。
それは、天皇家は白と黄色なので、同じ色を掲げるに畏れ多く、赤と白を使う、という話です。
これは幟旗の話ではなく別の時の話だったそうですが、旗にも関係するのかも知れない、全く分からないが、と宮司が言っていました。
その他にも考えましたが、紅白の幟旗といえば一般的には源平を思い浮かべますよね。
赤の平家、白の源氏というように。
その流れから大名行列の体裁を為す行列なので、最もメインとなる御神輿のまわりに武家の象徴、紅白幟旗を配置する、という案。
他には、天祖では無い神を奉ずる場合は白黄色では無く白赤を使う事で、神の系統を明らかに示す、という案。
多分どちらも無いだろうなぁ。
わかる方いらっしゃったら教えて頂きたいです。
どうかお願い致します。
そして次、大祭発祥の根源、また渡御行列が三百年行われてきた全てを集約する唯一の存在、龗神社の御神輿です。
現在の八戸三社大祭は、三神社ともに神社本庁包括下にある「神社神道」という宗教の祭礼ですので、思考性は神社神道に基づきます。
その思考性に則れば、龗神社の場合、最重要は8月2日の中日例祭となり、八戸三社大祭とは何か?と問われれば、中日例祭が斎行される事、となります。
だから去年も今年も八戸三社大祭は行われていますよ、とされます。
では行列は?と言われれば、中日例祭の附帯行事、と位置付けられます。
附帯行事というのは無くてもいいオマケという事では無く、中日例祭が存在するから附帯して行う事ができる行事、という意味です。
つまり中日例祭は無いけど行列しますよ、というのはあり得ないわけです。
なので先日龗神社の山車組には、中日例祭は毎年山車組の代表者がきちんと参列するべき、行列だけというのは、学校の授業は休むけど部活は出ますってのと一緒だよ、と伝えました。
そう言って貰えれば何すべきか分かり易いとの事だったので、伝えておいて良かった、って今更伝えた私が一番問題ですが。
逆に本来ならば、中日例祭に参列できない年は行列参加も自ら遠慮すべきですが、人数の多い山車は良いものの、大人の人数も限られる伝統芸能は負担が大きく中々難しいところです。
しかし、昔から中日例祭が最重要だったのかと言われれば、江戸期までの修験道の色濃い時代は不明です。
詳しくないですが、修験道では行列自体が最重要と私が感じる行事などがあるもので、その当時の考え方までもが神社神道の今と同一とは言い切れません。
その為、もしかしたら神社神道の形式になる以前の大祭発祥当時は、行列自体が例祭又はそれに準ずる様な神事より重儀だった可能性もあります。
この辺りは修験道を知らなさすぎる為、私では勉強不足ではっきり言えません。
いずれにせよ、大祭発祥の折に有力商人が願い出たのは龗神社の御祭神がお渡りになる事だったので、領民にとっては神輿渡御が最も重要と考えられたというのは間違い無い事実です。
だから、三社大祭の根源であり、お祭りが執り行われる全ての根拠は、唯一この龗神社御神輿に集約されるのだ、という言い方をしました。
それではここで、当時の中日例祭はどうなっていたのか?について少し。
当時は御神輿が御旅所の長者山虚空蔵堂に到着、そこで宿泊し、翌日中日にはその場所をお借りし、龗神社自身が神事を行っていました。
その後には、やはり龗神社自らの振る舞いで直会、つまり饗宴が行われていたそうです。
これらの詳細は全て様々な文献に見る事ができますし、当家先祖の日記にも見られます。
今は長者山では、我々龗神社ではなくて神羅神社さんが自分達で例祭を行うようになり、同日龗神社でも中日例祭が行われます。
何せ御神体が日帰りで神社に帰って来るので、龗神社が長者山で例祭を行うとなると理屈が通りません。
この龗神社中日例祭、一般参列者を受け付けているので、通常の年は参列者の7割が観光の方です。
例年は多忙な為に例祭も略式ですが、例年8月2日13時開式ですので、来年以降大祭にお越しの折には是非御参列ください。