陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

八戸三社大祭

八戸三社大祭法霊山龗神社オンライン渡御祭 第十三日目 〜神職〜︎

令和三(2021)年 八戸三社大祭
法霊山龗神社オンライン渡御祭
第十三日目 〜神職〜︎

法霊山龗神社instagramからの投稿

■ 写真1:神職行列の様子

九日目に書きましたが、龗神社行列には、現在4人の神職が御神輿に随行していますが、その二番目となる神職です。

大麻神職は祓主として明確な所役を有しており、大麻を持ったまま行列する事からも、目的も明確です。
それに対して二番目につく神職は、立烏帽子に浄衣ではない狩衣で、持笏(じしゃく、笏を右手で持った状態)したまま行列しますので、パッと見では所役が分かりません。

私達も、この位置に神職が配置される理由は伝え聞いておらず、正直分かりません。
行列の前後から推測するに、多分昨日ご紹介した金幣に関係すると考える他ないのかなぁ、と思っています。

以前、築30年以上の家で地鎮祭したい、という投稿の際に書きましたが、神社神道の祭祀に於いて、奉献物は一般の認識以上に重要な意味を持ちます。

神饌、幣帛は非常に重要な存在で、献弊使参向の折には、神饌以外の奉献品、狭義では布などの繊維品を奉る代わりに「幣帛料」を供進する程です。

ちなみにこの献幣使、たまたま別件あって県神社庁に聞いたところ、依頼文が提出されれば、どこの神社にでも必ず行かなければならないものだそうです。
逆に言えば、今まで例年参向してても、依頼文を出さないと来ないそうです。

龗神社でも以前は依頼していたのが記録にありましたが、大祭期間中のえげつない煩雑さの中で、献幣使をお願いする時間的余裕がなく、失礼にあたるだろうとの事で取り止めているようです。

神社庁の立場としては、神社側から「幣帛料の供進をお願いします。」とお願いするものなので、神社庁側から「幣帛料を差し上げに伺いましょうか?」という話はおかしな事になってしまうので、自分達から行きますとは言えないと聞きました。

この重要な幣帛を奉ずる役割が今回ご紹介する神職に当たるのではないかと思います。

三社大祭関連書籍に明治二年の行列構成が掲載されていたのですが、「奉幣師」という所役の掲載がありました。
「使」ではなく「師」となっているのは、伊勢などで活躍した御師などの影響でしょうか。

奉幣使(師)は、畏き辺りからの命によって幣帛を奉る所役でありますので、幣帛を献ずる神職と思って問題ない気がします。

明治には神社本庁自体がまだ存在していないのと、奉幣師が神社自体の神職では無い方が務める所役だと思うので、今の行列とは様々なニュアンスが違う部分があると思いますが、これが変化し、金幣の直後に控える神職となった、と考えるのはどうだろう?と思いました。

現在の献幣使は、神社庁が各神社の例祭を始めとする祭典に幣帛を奉る為に参向する訳で、祭典の附帯行事である行列渡御に参向する事はありません。
その中で、幣帛を自分達で奉ずる所役としての金幣直後の神職、という事であれば理解しやすいなぁ、と考えてみました。

今や調べる術も無く正誤も判断する事はできませんので、想像の域を出ないのですが、所役が明確ではない状態で参進の様にただ行列していると思うよりは、神職がそこに控える理由があると理解する方が、神道の理解にも大きな意味を持つ気がします。

最後に余談になりますが、奉幣使の存在は、明治期の国家神道推進政策の一環、という感じで書籍に記載されていました。

この「国家神道」という言葉、法律的な用語とかではなく概念、つまり考え方です。
一般の人がこの言葉に触れるのは戦後のことです。

よく、一般的に言う「祭政一致の詔(正式には、祭政一致の道を復し氷川神社を親祭し給うの詔)」で国家神道を推進、の様な論調を目にしますが、明治時代は国家神道という言葉がありませんでした。

国家神道について書きすぎると怒る方もいる様な気がするので、ちょっとした豆知識だけという事で。

以上、二番目に登場する神職の説明でした。