法霊山龗神社instagramからの投稿
【歴史ロマン】義経北行伝説第九回「類家稲荷大明神縁起」今回は類家稲荷大明神縁起の8ページ目のご紹介です。1ページ目の投稿に記載されている注意事項等を踏まえてご覧ください。—————️ページ7の最後(前回と重複)さてこの人、ご家来衆を引き連れて両人(板橋長治と喜三太)まずここ(長者山)に下着、ここを選定なされた時代はいかにも、山根山根(山のふもと)などに百姓やらなにやらいやしき(粗末な)小家などが間に一軒、ニ軒ずつここにあるものの、️ページ8田地は無く、茅が生い茂る野原、葦の湿地のみであれば、何より飯米がないので、三戸方(現在の青森県三戸郡三戸町)へ参られて籾を買い、畑牛につけて来させて米にして、その(米)糠を捨て置きなされたところをただ今でも糠塚村と申すのである。その牛を預け置いて、荷物運びをさせられた牛を預け置かれた小家がようやく2、3件ある所を牛ひき村と申せられたのを、その後くしひき村と改めた。今の櫛引である(現在の青森県八戸市大字櫛引、江戸時代は八戸藩領ではなく盛岡藩領)。さて、高館御所より見渡してご覧になられて、馬淵川の東の野原、茅の野原、葦の湿地の場所、後々には人里となるであろう。その東に当たる場所に稲荷の社を建てた事は、誠に良いことだと。この野並びに近辺、人家と—————8ページ目はここまでとなります。糠塚村と出てきますが、今でも八戸市糠塚という地名があります。また、櫛引村というのも、今でも八戸市大字櫛引という地名があり、現在は南部家の氏神とされる櫛引八幡宮が鎮座しています。#法霊山 #法霊山龗神社 #歴史ロマン #源義経 #源義経伝説 #義経 #義経伝説 #義経北行伝説 #義経北行伝説の地 #八戸三社大祭龗神社発祥三百年 #三社大祭龗神社発祥三百年 #義経好きにはたまらない #源義経伝説がある神社 #義経伝説が残る古社 #古文書 #古文書を読む #伝説好きの皆さんはこちらへどうぞ #伝説好きな人と繋がりたい #歴史伝説 #shinto #shintoshrine #shintoism #ancientwriting #historicaldocuments