法霊山龗神社instagramからの投稿
本日午前は、地元紙「デーリー東北」さんの取材で、八戸三社大祭に関する様々な話をさせて頂きました。@dailytohoku 大まかには神事としての三社大祭を伺いたいという感じで、思いや考えに関わる部分を聞かれたりしていました。「大祭」又は「祭」と付いている段階で、神事じゃない三社大祭などというのは本来あるはずも無いのですが、現代では祭りという言葉は神事に関係しないイベントなどにも使われていますので切り分けも難しく、神事じゃない催しにも大祭を冠するものが出てきています。そこを踏まえた上でお話しました。伝統の大切さを伝えていきたい想いが強くあるのか?という質問がありましたが、我々が三社大祭で為すべきは、祭祀の厳修と氏子の教化育成、ここに集約されるものであって、例えば祭りの形や形式は祭式の定めによるものであるし、伝統等というものは結果として残ったものに過ぎないと思う、と答えました。実際のところ、広義の祭りという意味では、青森市のねぶたや五所川原市の立佞武多などの方が考え方として優れていると思うし、神事としてはむつ市の田名部祭りの関係者の方が精神性において圧倒的に先んじていると思います、この様な話もしました。すると、先日宮司さんから話を伺った時、スニーカーで行列参加しているものがいると神社にクレームが来た事があると聞きましたが、やはりそういう部分も重要な事なんですよね?と聞かれたので、結局、普通の服装などで行列を構成している様子を見て、観覧する方々がそこに御神威を有り難み、300年紡いできた祈りの価値を感じられるかどうかって事じゃないですか?それが教化という観点においてどうか?って見方になるんだと思いますけどね。と回答。また、4年ぶりの三社大祭を成功させられるように、と言っているのを報道で目にした記憶があるが、神様事で成功などという物言いは何事かと感じた、逆に失敗って何だ?と思った、のような話も。伊勢の神宮にて式年遷宮が成功しました、こんなモラルのかけらも無いような報道見た事あります?と聞くと、確かに無いですよね、と。そう言えば昔は、神社の前まで山車が来てたんですよね?との話になったので、山車が来るかどうかってなると多くの大人の事情が出てしまうので、警察から許可出してもらえない可能性も出てきますけど、一番は参加するものですよね、と回答。通常皆さんが主張する神事である三社大祭なのであれば、大祭期間中、参加するものは必ず毎日参加する神社に参拝に詣でるのが常識じゃないかと思うんですよ。子供だろうが老人だろうが、忙しかろうが遠かろうがね。その神様のお祭りに出させてもらう訳ですから、参拝して参加するってのが社会常識だと思いませんか?一度も参拝せずに参加する人も多いと思いますけどね、だから皆んな意味を理解する機会もなくて、神事に対して「神事の重要性」なんていう破綻した理屈が議論されるような事になるんじゃないですか?と回答。私の感覚ですけど、5日間行われるイベントがあったなら、始まる前に主催者や責任者の所に伺って「今日も宜しくお願いします。」って5日間毎日挨拶に出向き、終わりには「ありがとうございました、明日も宜しくお願いします。」って挨拶に行くのは社会常識であると私は思いますし、営業マンなら絶対そこは外さないんじゃないでしょうか?この様な根本が教化育成なされなかったのは、第一に神社の責任が大きいのだと思います。正しく伝えて来る事をせず、好き勝手行動したり論じたりする行為を黙認してきたからです。ただ、一般的に言えば、とある会社の催し物に対して他社が好き勝手行動したり論じたりなどは、これも社会常識というかルールとしてあり得ない事であると思いますので、神社の執り行う事に対してその様な行動をとる方もとる方だとは思いますし、口を出せば社会的責任が生ずる事も常識だと思います。いずれにしても、この様な常識を逸脱した行為が常態化して、勘違いした人々を生み出した最も重い責任が神社側にあるのは間違いない事実であると考えています。先代の祖父は、神社の祭りというのは、教えなくても自ら祭典に参列して、作法や考え方も自ら学ぶべきものだ、そう私に言っていましたが、結果意思は間違って解釈されてしまったのかも知れません。デーリー東北さんとは他にも多くの話をさせて頂きましたが、記事の邪魔になると良くないので、あとは紙面にて確認ください。#神社 #神社仏閣 #龗神社 #法霊山 #法霊山龗神社 #青森県の神社 #八戸市の神社 #八戸の神社 #総鎮守 #八戸総鎮守 #八戸 #八戸市 #青森県 #八戸三社大祭 #八戸三社大祭龗神社発祥三百年 #八戸三社大祭2023 #三社大祭 #三社大祭龗神社発祥三百年 #三社大祭2023 #デーリー東北 #デーリー東北新聞社 #取材