陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

社務日誌

氏子地域を勝手に主張するなとお怒りの方の件

今日お札を受けにいらした方のお話。
本人の承諾を得て投稿します。

この方、龗神社から徒歩5〜6分の場所に住んでいるそうなのですが、確認のため神社庁の八戸地域を管轄する支部に電話して、どこの氏子ですか?と聞いたら、違う神社を案内されたとの事。
この方が住んでいる地域はちょっと複雑で、神社の主張と地域住人の認識が違ったりするような所です。

龗神社は八戸全体の祭祀として三社大祭を行なっている関係もあって、基本氏子地域を懸命に主張するという事は考えた事も無いのですが、地域住民の立場ではそうはいかないようです。

この様な氏子論争、という問題は全国であるそうで、龗神社にも年に少なくない数の相談がきます。
また神社庁の支部からも、たまにこの住所の氏子はどこですか?と逆に問い合わせが来る事も。

それで以前、神社庁に氏子地域に関して問い合わせたのですが、実は氏子地域は神社が主張して決まるものでは無いのだそうです。
地域住民の意思が氏子を決定するものだ、という事なんだとか。

じゃないと何かと理由をつけては氏子地域を主張する恥も外聞もない神社が出てくるそうで。

例えば龗神社も、車で15〜20分位かかる八戸市新井田という地区は、三社大祭で龗神社に山車がつくから新井田は氏子だ!なんて言い出すとか、何でもアリになってしまいます。
(実際の新井田地区、隣接の湊高台地区は、多分四本松神社さんの氏子だと認識してる方が多いと思います。)

他にも離れた地域にも関わらずお札を配り歩いて、ここは氏子です!と主張するような、住民都合を一切省みない悪質な例もあるそうで。

という事で今日いらした方、何で歩いてすぐの所に龗神社があるのに、行くのに20分以上も掛かるような他の神社の氏子って事になるんだ!と怒り心頭でした。
更に案内された神社に対してまで怒っていて、あの神社なんて二度と行かないとまで言っていました。
その神社はその人個人に対して何もしていないにも関わらず、です。

そして、何故離れた場所の神社が氏子だと押し付けられなきゃならないんだ!勝手に決めるな!とお怒りの様子でした。
感情的になると、もはや相手側の悪い部分しか見なくなってくるのは普段の生活と同じですね…

この方は、要は神社側の一方的な都合で区域を勝手に主張し、上から目線で住民感情はどこ吹く風で、人をバカにしているのか、そんな神社なら必要ない、という事が言いたいのだそうです。

実は近年、氏子地域を主張する事に熱心な都市部の神社は、例外なく衰退またはその傾向を見せていて、経済的に自立性を失っていく、という調査結果があります。

この調査結果、私が神職になった時、サラリーマン時代のマーケティング、コンサル系のパートナー会社数社が、お祝い代わりにといって共同調査してくれた、私しか知らない非公開のものです。
このレポートは結果を保証できるレベルのあまりにも精度が高い情報の為、詳細までは公開できない約束です。

そして今日いらした方の様子を見れば、こういった住民の感覚と神社の主張の食い違いが、対象の神社の衰退を招く要因の一つでもあるのだと明確に示しています。

情報が容易に手に入り、情報量も今や昔とは大きく違う中、人の思考性も情報量と共に変わりつつあります。
それは神社に関しても同様で、神棚減少や人生儀礼に対する考え方、神社参拝の動機の変化など、周りを見渡せば各所に著しく現れているのは皆さんも感じている事と思います。

神社は、情報が溢れているからといってその根幹にある意味や意義までをも変えるなどという事は絶対あってはいけませんが、地域社会や氏子さんとの関係性、伝えるべき情報の選別や手段に関しては、相手側の受容範囲を考えなければ教化育成をなす事ができなくなっているのが現実です。

そこで龗神社では5年程前から、地域との関係構築、情報や考え方の発信など、本来当たり前だったはずの事を見直しました。
神道の在り方や社会との関係性、また面白さなどをお伝えする機会を増やし、考えて頂くきっかけを提供する、という作業です。

その考えた結果がどうであっても構わないというスタンスです。

それは個人の感性や考えの事なので神社の考えを押し付けるなどは常識的に無いわけで、もし我々にとって不都合な結果でも、それはその方が神社や神事に関わらなくていいと判断しただけの事です。

今は他の宗教だけでは無く、科学技術こそ神だという主張や地球外知的生命が本当の神である等という考えも存在していますし、神の必要性も人それぞれです。
また情報の多様性に伴って、距離、好きな神様、古さ又は新しさ、規模の大小、神社の考え、由緒歴史など、その個人にとって必要な神社も多様ですので、同じく氏子区域の必要性も人それぞれになるのは当然だと思い知らされました。

神社は商業行為ではないのでその辺履き違えるのは本末転倒ですが、参拝者のニーズに起因しない制度の存在が神社界の衰退に多大な影響を及ぼして来たんだなぁと体感した、そんな出来事のご紹介でした。

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