陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

社務日誌

法霊山龗神社instagramからの投稿

家紋と本姓と苗字の事本日所願成就の御祈祷にいらしたご夫婦と、終了後に少しお話をした時の事。神社の神紋(一般家庭での家紋)の話になりました。龗神社の神紋も代々の神職家である私共の家紋も共に、写真の「丸に橘」になっています。本日御祈祷された方の家も同じ家紋だそうで、数ヶ月前に初めて龗神社の月次祭に参列された時、神紋を見て縁を感じ、それから毎月1日朝7時からの月次祭に参列されるようになったと仰っていました。その流れで、本日月次祭に参列された後、午後に所願成就にいらしたそうです。そして数日前、七五三でいらした方も家紋の話をされていて、やはり同じ丸に橘であるので、ここが自分の氏神だと強く感じた、という様な話をされていました。この方と本日の方、全く親戚関係では無くお住まいも全然違う場所であるものの、苗字が同じでした。家紋というのは、その家のルーツを知るに当たって重要な場合があります。苗字も同じくルーツに関わる場合が多いのかも知れません。私達龗神社の神職家は、家系図によると元は藤原南家の流れである「工藤」姓を名乗っていたそうで、すると本姓は、源平藤橘で言うところの「藤原」姓になります。工藤の他にも、伊藤、二階堂などが藤原南家の代表的な苗字かと思います。しかし、3代前?4代前?の先祖の遺言書を祖父に見せられた際、そこには「源榮教」と署名がありました。これは婿養子を取った際に、本姓を当家元来の「藤原」から、婿さんの家系の「源」に変更したものと考えています。そして家紋も同じく、丸に橘になったのでは無いかと思いますが、この辺りは想像でしかありません。ちなみに家系図には、婿養子を取ったという記述が確か3ヶ所程あった記憶があります。そして本姓藤原氏の家系で「丸に橘」というのが見当たらないあたり、上記の想像に至った経緯でもあります。余談ですが、祖父から見せてもらった遺言書、以前三社大祭の当家のみに伝わる伝承があると書きましたが、それに関わる内容が記された書のうちの一つです。話を元に戻しますと、青森県から岩手県にかけての「丸に橘」を家紋に持つ家は、多分多くが源氏の流れを汲む家系じゃないかなと思います。出自は今の青森県三戸郡三戸町から南部町、又は岩手県二戸市近隣から九戸郡辺りにある事は、お祓いなどで出会った方々とのお話など、自分の見聞きした経験上で知りました。もちろんそれが全てじゃ無いと思いますが。お祓いに来た方々は同じ苗字で同じ家紋だが、親戚関係には無いという事でしたが、出自を辿れば源氏の流れでぶつかるのかも知れません。家紋、本姓、苗字には、総合して調べていく事で自分のルーツを知る情報や、場合によってはその地域の歴史伝承までが隠されている事があるようです。とても興味深い事だと思います。しかしながら、この方面から調べた結果は、現存する郷土史とは乖離している場合が多くあるのも事実です。どちらが正しいかは知る由もありませんが、地域の伝承と地域に残る家紋本姓のルーツから得られる情報を総合して、整合性が得られるものこそが史実に近い可能性を秘めていると考えています。とは言うものの、一度これが地域の歴史だと発表されたものを崩して考える事には、拒否反応を示す方が多いのも事実で、例え机上の空論のような論説でも発表されたり論文が出たり、出版されたりしたものを正として、頑なに受け入れない事が真実を遠ざけている場合もあるのだそうです。と、とある理論物理学のアウトローな教授が仰っておりました。ご自分の家系の家紋、元はどの地域から移り住んできたのかなどを知る事で、皆さんもご自分のルーツに迫る事ができるかも知れませんので、興味があれば是非チャレンジしてみてください。#神社 #神社仏閣 #龗神社 #法霊山 #法霊山龗神社 #青森県の神社 #八戸市の神社 #八戸の神社 #総鎮守 #八戸総鎮守 #八戸 #八戸市 #青森県 #家紋 #丸に橘 #丸に橘の家紋 #源氏の家紋 #本姓 #工藤氏 #家系のルーツ
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