法霊山龗神社instagramからの投稿
【歴史ロマン】義経北行伝説第七回「類家稲荷大明神縁起」今回は類家稲荷大明神縁起の6ページ目のご紹介です。1枚目の写真右側のページです。1ページ目の投稿に記載されている注意事項等を踏まえてご覧ください。—————️ページ5の最後(前回と重複)ご家来中も三、四人ずつお供なされ、これも(家来達も)いろいろ小さく️ページ6別に茅を使って小屋をこしらえて、(義経の)御逗留中に御付き添いなされておられたので、家に類出でてたり(たぐいいでてたり、家のようなものが現れた)とお笑いになり、類家の者共(るいけのものども)とお呼びになられたので、つまり今になっても類家村と呼ぶのである。また御装束のお烏帽子、狩衣を御小屋に指し置かるべき所がない為、仮の杭を立てて烏帽子、狩衣をお掛け置かれられたところ、その当時にはゑぼし屋敷を御家来が仰せられたところを、末々になって今は俗にぼっち屋敷(現、青森県八戸市類家堤端、類家帽子屋敷)と称え申すのである。さて、先達としてお下しなされられた板橋長治は、(八戸に)留まりなされ、御所を直接すぐに板橋村と言われる事になる所在にて、柴などをゆい立て(小枝などを結び立てて)、その一帯に人を—————6ページ目はここまでとなります。類家という地名は現在でも八戸に存在しており、上記がその由来と伝わります。#法霊山 #法霊山龗神社 #歴史ロマン #源義経 #源義経伝説 #義経 #義経伝説 #義経北行伝説 #義経北行伝説の地 #八戸三社大祭龗神社発祥三百年 #三社大祭龗神社発祥三百年 #義経好きにはたまらない #源義経伝説がある神社 #義経伝説が残る古社 #古文書 #古文書を読む #伝説好きの皆さんはこちらへどうぞ #伝説好きな人と繋がりたい #歴史伝説