義経北行伝説第十六回「類家稲荷大明神縁起」
【歴史ロマン】義経北行伝説第十六回「類家稲荷大明神縁起」
今回は類家稲荷大明神縁起の15ページ目のご紹介です。
1ページ目の投稿に記載されている注意事項等を踏まえてご覧ください。
※本記事に関しては、最後の注意部分もお読み頂きたく存じますので、本文後も読み進めて頂ければ幸いです。
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ページ14の最後(前回と重複)
この稲荷は智・仁・勇を兼ね備え天下に大きな功績のある御人ご開基の御神であるものの、このようにみすぼらしく坐しますのは、これはひとえに社司別当(神仏習合における呼称、現在でいう所の神社宮司)が存在しないのが原因であると、この頃は子供にも️
ページ15
これまで話したようなあらましまでをも語り知らせ、なおまた、信仰仕え奉る様にと申し告げている、と語った。◯御社を藤が森より堤の土手に類家の者ども移し置かれた謂れの事一、御社を堤の土手へと移し奉ったのは、この近年のことである。類家の下通りは、用水不足につき新しく今の堤をお上によって築立(堤工事の法面工事のようなもの)なされるのであれば、堂を新たに建立致し、秋になり稲が実ったならば祭もいたし捧げ申し上げるべきであると申して、破損してしまわれている
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15ページ目はここまでとなります。
【注意】
この15ページの略に関しては、正部家種康氏の著書「北の義経伝承」を大いに参考にしております。しかしながら、写真の原文を見る限りニュアンスが違うのではないか?また意訳にすぎるのではないか?と思える部分があり、正確と言えるのかどうか判断がつきませんでした。
例えば写真には存在する単語が著書には出てきていない、単語の解釈が広義過ぎる、などと思われる部分があり、どのように理解するべきかわからなくなってしまいました。
私自身も様々調べてみましたが、時間も足りず、部分部分の解釈は進めることができたものの、全部を解読するには間に合わず、今回は著書に基づいた現代語訳を掲載させて頂きました。
いずれ明確になった場合には、この部分の修正を掲載させていただく予定ですので、どうぞご理解の程お願い申し上げます。