御礼
9月10日、11日の2日間に渡り執り行われました権禰宜の父の神葬祭にあたり、ご会葬頂きました父や私共遺族に関係する皆様、神社とのお付き合いの中お気遣い頂いた皆様、八戸三社大祭に関係する運営委員会始め各山車組、伝統芸能団体の皆様、神社関係者及び関係各所の皆様方に深く御礼申し上げます。
また、例祭を執り納められたばかりの社務多忙な折にも関わらず、斎主をお務め頂いた小田八幡宮様に深く感謝申し上げます。
そして、東北六県神道青年協議会の役員会を欠席してまで参列頂いた、青森県神道青年会の事務局をお務めの鶴田八幡宮の禰宜様、また役員会を欠席してでも参列するようにと仰ってくださったらしい青年会会長の田名部神社宮司様、理解を示してくださった青年会の皆様、遠いところからわざわざ参列頂いた驚きとお心遣いへの感動で言葉もありませんでした。
あと、青森市の廣田神社宮司様、お忙しいにも関わらずわざわざ玉串料を献じて頂きましたお気持ちは今後忘れる事はありません。
電報や供花頂いた皆様など、本来この場においてもお一人ずつご紹介し感謝申し上げたいところではございますが、追ってご連絡差し上げたいと思いますのでご容赦ください。
それから、期間中地鎮祭を代わってくださりました御前神社様、四本松神社様、また神社の変更や日程再調整などを受け入れてくださいましたハシモトホーム様、タナカホーム様、パルコホーム様、サイエンスホーム様(日程順)、安産祈願や初宮参などを日程再調整してくださいました皆様、当家の私的な事情であるにも関わらず本当にありがとうございました。
そして、私が治療方針などで悩んでいた際、昼休み時間を返上してまで個人的に話を聞いてくださり、相談に乗ってくださいました八戸市是川「きむらクリニック」の木村先生、医師としての使命感や人間性の素晴らしさに改めて尊敬と感謝を申し上げます。
皆様のお陰をもちまして、滞る事無く神葬祭を納める事ができました。
病気が発覚してから2ヶ月にも満たない最後の時間でしたが、毎日コミュニケーションを取ってくれていたインターンの学生さんの話では、今は三社大祭があって忙しいからと気を遣っていたそうで、まるで三社大祭最後の例大祭である9月2日が過ぎるのを待つようにして帰幽しました。
入院直後、見舞いに行った際に、私は先進医療を検討してみないかと父に提案しましたが、
「いいから、俺の人生だからこれ以上無理しなくても、どうするかは俺が決めるから。」
と、無理に生きる事を拒否しました。
しかしその直後、
「でも、何か調子がおかしいと思う時は早めに検査した方がいいと思う。」
自分はもういいが、お前はそうしろという私に対する言葉でした。
多分、大人になってから父が私に対して真剣に気遣いしたのはこれが最初で最後だったんじゃ無いかと思います。
この言葉を聞いて、それでも父を何とかしなければと思い様々調べたり、病院勤めの弟と電話で話し合ったりを繰り返しましたが、医師からは2ヶ月持てばいい方だと、家族に対して余命宣告がなされます。
気落ちしない様に本人には伝えないで欲しいとお願いして、せめて痛みを取り食事ができる状況にはして欲しいと伝えました。
放射線により痛みが取れた時、母が見舞いに行った際
「頑張れば2週間くらいで家に戻れるかも知れない。」
と喜んでいたそうです。
しかし翌日早朝、父から母に電話があり、夕方看護師からもう長くは持たないから手術しても無駄だと言われた、今後の事を話さなければいけないから必ず面会に来て欲しい、という連絡が入ります。
家に戻れるかもという期待から、もう難しいという宣告で一気に気落ちしたのか、ここから目に見えて衰弱し悪化していきました。
あとは先日投稿に書いた様な流れです。
お世話になった方々や仲良かった友人達と、せめてもう一度会う機会をと思い、医師にもその様にお願いしてきましたが、残念ながら叶う事はありませんでした。
最後に、本人から生前言われた事ですが、私の手伝いで地鎮祭に行った時、いつも会うハウスメーカーの方々に挨拶してもらったり、ちょっとした会話をさせてもらったりするのが本当に楽しかった、皆さんには随分良くしてもらって感謝している。
お会いした方々には直接お伝えしましたが、この感謝を皆さんに伝えてほしいと言われておりました。
お世話になった皆様、父の人生に彩りと充足を与えて頂き有難うございました。