陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ブログ

青森県八戸市の総鎮守である法霊山龗神社で行われている日々の社務や神社や神道に関する豆知識、地鎮祭やお宮参り、七五三をはじめとしたお祝い事をブログでご紹介しています。

社務日誌

法霊山龗神社instagramからの投稿

個人的な投稿になります。自分自身の心の整理の為に書いてるようなものですので、読み飛ばして頂いて結構です。本日、私の父の神葬祭のうち、遷霊祭(遺体から御魂を霊璽に遷す祭祀)、出棺祭(出棺前の祭祀)、出棺、火葬祭(火葬前の祭祀)、火葬、通夜祭、以上が執り行われました。父は実年齢73歳で癌により帰幽致しました。癌が発覚したのは7月末、明後日から八戸三社大祭が始まるというタイミングでした。股関節の痛みで歩く事もままならない状況で整形外科などを受診していましたが、一向に回復が見えない中で、おかしいと感じた家族が人間ドックを進め、法霊神楽に来られている八戸平和病院の医師の先生に相談したところ、検査を受け入れてくださる事となり、異変が発覚します。この段階でステージ4の癌である事が判明。対応できる総合病院へ紹介頂きましたが、何せ大祭前、家族側は即座に対応できないとして8月4日の後夜祭終了を待って、翌5日に入院となりました。今思えば、大祭を大義名分にして優先的に取り合わなかった事への後悔しかありません。それから、治療や今後の対応について家族間で話し合うも、揉める事も多くなり、その間にも父は衰弱していきます。考えたくはないものの、いつどうなるかわからないという思いから、特に孫に甘かった父の為、娘を連れて可能な限り見舞いに行きました。9月2日、八戸三社大祭最後となる例大祭が執り行われ、その夕方に私一人で病院に向かいましたが、寝ていて会話ができず。9月4日、娘を連れて面会に行くも、やはり寝ていて会話はできず、来たことも知らない状況。9月5日、八戸三社大祭の会議後にそのまま病院へ。どうやら風呂に入ったりで疲れているとの事で、やはり寝ていて会話もできず。同日、部活終わりの娘を学校に迎えに行き、そのままもう一度病院へ向かうも、部活終了予定が長引いてしまい、面会可能時間に間に合いませんでした。明日先生に言って部活早めにあがって来る事にして、今日は諦めようという事に。9月6日、朝病院から母に電話で、血圧低下で危険な状況なので、すぐに病院へ来るようにとの事でしたが、この日は三社大祭関係の後片付けがあり、母がすぐ出るのは難しく、昼過ぎに私が病院に到着。出血で血圧が下がっているから輸血を開始すると言われ、その間に娘の学校に電話し、今すぐタクシー乗せて病院まで直行させて欲しいと伝えます。同じく母に電話したところすでに向かっているとの事で、待っている間、聞こえてるかわからないものの、娘と母が向かってるから、大丈夫だから、心配するな、と声を掛けてみます。それから他の家族にも連絡。そこに母が到着。父の顔に手を当て「お父さん、着いたよ。」と声を掛けた直後から急激に数値が低下。母の到着から5分と持たず亡くなりました。あぁ、母が来るの待ってたんだな、最後会えたから眠りについたのか、そう思いました。医師の診断で正式に死亡を告げられた直後に娘が到着し、残念ながら間に合う事はできませんでした。以上が、癌が発覚してから亡くなるまでの、2ヶ月にも満たない父の最後の物語です。身長も183cmと大きく、弱々しいイメージなど無かった為に、本当にこの日が来るなど想像できていませんでした。あの時こうしていれば、もっと早く気付いていれば、調子が悪いという父の言葉をもっと真剣に受け止めていれば、三社大祭や自分の忙しさを言い訳に後回しにしなければ…それでも何か変わったのかはわかりませんが、出来なかった後悔は数えきれません。今まで社務を手伝ってくれる父に対して照れ臭くて感謝を述べた記憶もありませんが、明日の葬場祭ではせめて父への感謝くらいは伝える事ができたらと思います。以上、数ヶ月の後悔に満ちた気持ちを整理したくて書いた、非常に個人的な情けない話でありました。#神社 #神社仏閣 #青森県の神社 #八戸市の神社 #八戸の神社 #青森県 #八戸市 #青森県八戸市 #八戸 #総鎮守 #八戸総鎮守 #龗神社 #法霊山 #法霊山龗神社 #おがみ神社 #神葬祭 #父の死 #葬儀 #報恩会館 #報恩会館柏崎 #父の闘病 #後悔 #悲しみ #親孝行できなかった #癌 #ガン
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