法霊山龗神社instagramからの投稿
令和五年12月16日(土)内丸親睦会山車組最優秀賞受賞祝賀会今年の八戸三社大祭山車審査において、龗神社附祭山車組の「内丸親睦会」が最優秀賞を受賞した事を祝う祝賀会が16日行われ、お招き頂きました。この日は特に事前の連絡で挨拶をお願いしたいなどという事も言われておらず、町内の知ってる方々も多くいらした為、勧められるままに普通にお酒を飲んでおりました。祝宴も半ばに差し掛かってきた頃、内丸親睦会の代表者Sさんが近付いて来たのを見た瞬間、明確な悪寒が走りました。嫌な予感しかせず、後ずさりながら話を聞いたところ、「中締めの挨拶頼んでいいかな?」あぁやっぱりな、嫌な予感したんだよ、今日は挨拶ないからと思って気持ちよく飲んでたのに、何も考えて来てないって、そう言って拒絶を示しましたが、周りも後押しモードで受けざるを得ない感じに。そのあとSさんの息子2人が順番に挨拶に来ましたので、「クソオヤジにもっと早く言ってって伝えておいて!」と言っておきました。何も考えていなかった上に、中締めなのであまり長くならないようにと思いながら話を考えましたが、自分で何話したのか全然覚えておりません。覚えているのは、率直に今年の内丸最優秀受賞に関する感想を述べたくらいです。今年の山車は龗神社の主祭神二座のうち、法霊大明神が題材となっていました。実際見に行った時に、迫力がありカッコいいなと思ったのですが、同時に、この山車にこのお囃子は全然合わないな、そう思いました。これは悪い意味で言ってるのではありません。山車を総合芸術と見た場合、デザイン、パフォーマンス、楽曲の複合的要素で成り立つ作品であると感じたのですが、内丸の山車を見た時に、この山車にこのお囃子は、デザインの意味や主張を表す最良の楽曲では無いし、活かしきれる方向性のものじゃないな、そう感じました。明確にこの様に感じさせてくれた山車は初めてでした。お囃子には誰もが愛着もあり、その音色が三社大祭の風情の最たるものではあると思いますが、創作された芸術と思って見ようと思うと、表現の限界を感じる部分があるな、そんな意味です。7〜8年前、朔日町の山車を見た時に、引き込まれるような感覚を覚えたのと同時に法霊神楽のお囃子が聞こえてくる気がした事がありましたが、今思えばそれも同じような感覚だったのかも知れません。そしてパフォーマンスという部分ですが、先日淀山車組の50周年祝賀会にお招き頂いた時、和太鼓パフォーマンスの「創作太鼓響」さんの演奏を拝見した際、演じ方、または見せ方の重要性を再認識しました。これも5〜6年前でしょうか、龗神社附祭山車組の新年会にお招き頂いた際、響さんのパフォーマンスを初めて見た際に感じたのが、見せ方や演じ方が全体の総合的な感性に影響するんだなという事だったので、今回再認識という感じです。という事で、デザイン、楽曲、パフォーマンスの総合的な創作作品であると思えば、今年の内丸の山車は、通常のお囃子で型にはめて見るスケールを超えたものだった、そう感じました。いきなり中締めお願いされていい事言うのは癪に障りますが、一応褒めています。この様な事を随分端折って中締め挨拶として話したのですが、途中ちょっとした嫌味を交えながらその場その場で考えて話していたので、全体的には何言ったか記憶がないです。この数年で、来年は通常通り斎行できるのかな?そんな事を心配する事から始まるようになってしまいましたが、令和六年の大祭も滞り無く執り行う事ができる事、また龗神社山車組の中から最優秀賞受賞山車が出る事を願っています。#神社 #神社仏閣 #龗神社 #法霊山 #法霊山龗神社 #青森県の神社 #八戸市の神社 #八戸の神社 #総鎮守 #八戸総鎮守 #八戸 #八戸市 #青森県 #八戸三社大祭 #八戸三社大祭龗神社発祥三百年 #八戸三社大祭2023 #三社大祭 #三社大祭龗神社発祥三百年 #三社大祭2023 #内丸親睦会 #内丸親睦会山車組 #祝賀会