義経北行伝説 第十一回「類家稲荷大明神縁起」

【歴史ロマン】義経北行伝説
第十一回「類家稲荷大明神縁起」

今回は類家稲荷大明神縁起の10ページ目のご紹介です。

1ページ目の投稿に記載されている注意事項等を踏まえてご覧ください。

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▫️ページ9の最後(前回と重複)
また高館より東北の州崎のその下通り、みな谷地にて

▫️ページ10
たびたびであるから(連綿と続いているから)、五月頃から京では蛍火がかなり辺り一体に行き渡って風流であるとお思いになり、そこをほたる崎と名付けられた。現在では、ほたる崎を世間でははったろう崎(現在の青森県八戸市大字河原木字八太郎近隣)と称え申すのである。京が崎と柏崎とはったろう崎と、これを三崎と世間では申すのである。

ホタルをご覧になられて思いが生じて、その上の山に石山寺(滋賀県大津市にある寺)の観音を建立しなければならないだろうとおっしゃられて、ご家来達に仰せつけられて手細工によって(これは武蔵坊の細工であると言われている)刻ませなさる。

その観音を後(のち)に横の方から動かして奪い取って、堂を建立して尊敬する所(安置する所?)をただ今、横まくりの観音と申すのである。

この様な事である為、この観音の縁起、別当(大まかに言えば僧侶)にはあるまじき

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10ページ目はここまでとなります。

京が崎、柏崎、はったろう崎の三崎というのは、龗神社の由緒にも伝わる部分があり、この三つの崎を守護する神として、龗神社は古来「三崎社(岬社とも伝わる)」と称されたと伝承される説もあります。