義経北行伝説 第十三回「類家稲荷大明神縁起」
【歴史ロマン】義経北行伝説
第十三回「類家稲荷大明神縁起」
今回は類家稲荷大明神縁起の12ページ目のご紹介です。
1ページ目の投稿に記載されている注意事項等を踏まえてご覧ください。
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▫️ページ11の最後(前回と重複)
この小社に主従6、7人学ばせて般若心経をご書写なされて、奉納なされられたと言われる(小田鎮座八幡宮さんに現存)。今もってこれは存在するということを、
▫️ページ12
伺っている。ここは京が原の鬼門と言える場所にあたるので、委細毘沙門の縁起に該当すると言える。
我ら(榊氏)の先祖はそのころ、(藤が森)稲荷の御神事を(義経が)ご自身にて行われる時(小間使いを勤め申している為)、何か木の葉を持って参れとおっしゃられたので、早速近辺より木蔦の枝を葉ごとそのまま取って参り差し上げたそうである。
はなはだお喜びなされたために、その後は気にかけて青木、あおきばった(?)など心がけて置き、御手支え(おてつかえ、さしつかえという意味?)ないように差し上げていたところ、だいぶご悦喜なされ、これによってそれ以来、名前をばお呼びにならず、榊、榊とばかりお呼びになられたのを、つまりは子孫の苗字につかまつりおきて(そのまま使用させて頂いて?)名乗っているのである。
それだけでなく、生業のために南浜に参って居住あいていた所までも
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12ページ目はここまでとなります。
毘沙門の縁起に該当するとは、多分毘沙門天は鬼門の守護と言われるから、という意味かと思われます。
また確か以前も書きましたが、榊さんという人は八戸市内の特定の地域に多く住んでいて、私の同級生や娘の小学校の先生などにもおられました。