義経北行伝説 第十回「類家稲荷大明神縁起」
【歴史ロマン】義経北行伝説
第十回「類家稲荷大明神縁起」
今回は類家稲荷大明神縁起の9ページ目のご紹介です。
1ページ目の投稿に記載されている注意事項等を踏まえてご覧ください。
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▫️ページ8の最後(前回と重複)
この野並びに近辺、人家と
▫️ページ9
なったならば見渡す所に何の神も未だ一社も見あたらない。この稲荷の(鎮座の)将来ははこの一郷の総鎮守となるに違いない。
また、この野、人里となれば社より西のあたる。これは素晴らしい。京は藤が森の西に当たるので、この野を今より後は京が原と名付けようと仰せられたので、その後は京が原(現在の八戸市中心商店街、旧城下町部分)というのである。
その同じような東の州崎に大いなる柏の木が二本あり、それを御目印となされられ、そこを柏崎と名付けられた(現在の青森県八戸市柏崎)。
また、京が原の北の州崎を京が崎と名付けられたのである(現在の青森県八戸市内丸、旧城内)。
今、八戸の御町は皆すなわち京が原の範囲内である。
また高館より東北の州崎のその下通り、みな谷地にて
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9ページ目はここまでとなります。
この中で出てくる京が原及び京が崎は江戸時代では八戸藩の城内及び城下にあたる場所となり、産土神は龗神社と伝承されています。