いわゆる「日ユ同祖論」に関して意見を求められて議論せざるを得なくなってしまった話-その4
2月2日からの投稿の続きです。
落ち込んでしまった女性を元気づけたくて、日ユ同祖論の中でも相当説明が難しいであろう、諏訪大社で行われる「御頭祭」について話しておこうと思いました。
私「何度も言ってますけど、日ユ同祖論が全部嘘だとかあり得ないなんて思ってないですよ。専門の研究者じゃないからわからないだけで本当の可能性もあるし、部分的には違ってるだけかも知れないし。」
女性「そうなんですか、でも今聞いてただけでも反論の余地って多いんだって初めて気付きましたから。」
私「ただ私もどう説明するのか見当もつかない事もありますし、本当の可能性があっても私が知らないだけの可能性だってあるんですから。」
女性「…ホントですか?」
私「…諏訪大社の御頭祭、どういう内容か知ってますよね?」
女性「インターネットですけど、比較したものを読みました。」
私「まぁインターネットでも、これに関しては出典も明確で、諏訪大社のお祭り自体の次第もはっきりしてる部分が多いんで、比較する事自体には問題無いかも知れないですね。」
女性「そうですか…」
あまり元気にならないなぁ…
相当落ち込んでる感じです。
私「まぁ、御頭祭とユダヤの過越祭だったかの比較って事で、まずは簡単に言えば、御頭祭は、子供を神の生贄として寝かせた柱に縛り付けて殺害する寸前、馬で駆けつけた神職が割って入って、少年は解放される、って感じですよね。」
女性「そうだと思います。見た情報ではそう書いてありましたから。」
私「で、ユダヤの過越祭ってお祭りは、信心深いアブラハムだかエイブラハムだかが、やっと授かった息子のイサクを神に生贄に差し出すように命じられて、悩んだけども神を信じて息子を差し出し、縛り付けて殺害しようとしたところ、神はその信仰心を理解して殺害を止める、って感じでしたかね?記憶違ってたらすいません。」
女性「確かそうだと思います。」
私「で、このお祭りの内容と、息子の代わりに羊何十頭を神に捧げたっていう旧約聖書にある話が、御頭祭の次第と、子供の代わりの生贄の鹿何十頭を捧げるっていう御頭祭の中身と数も合致してると。ちょっと数思い出せないんですけどね。」
女性「そうです、私も数覚えてたんですけど忘れました。」
後から調べたら羊も鹿も75頭だそうです。
私「まぁ詳しく説明しなくてもご存知なんでしょうが、一応インスタに書くので、あなたと話しておいた方が見てる人も分かりがいいかと思って話してますが、いいですか?」
女性「いえ、逆に伺いたいですので全然。」
私「そうですか。じゃあ続けますけど、他には旧約聖書のこの物語後に神殿が建てられたのがモリヤ山、諏訪大社の後ろに広がる山が守屋山。旧約聖書の移動祭壇の幕屋とかいうのと、諏訪大社の十間廊ってのが、縦横の長さや配置が全く同じ。子供の名前がイサクに対して、諏訪の御頭祭の神がミサクチ神。」
女性「よく覚えてらっしゃいますね。」
私「ちょっと最近、祝詞作文の時の調べ物で偶然にもそんな記事を目にしたもんで、インターネットで笑」
女性「あぁそれでよく知ってるんですね。」
私「他にも色々見たんですけど、今覚えてるのはこんなところですかね?あとは同じ諏訪大社の御柱祭がソロモン神殿の物語と合致するとかもありましたかね。」
女性「諏訪大社の事はインターネットで凄い数検索に出てくるので、結構詳しく見たと思います。イスラエル駐日大使が見学に来るとか書いてありました。」
私「なんかそうらしいですね。私は友人から教えてもらいました。」
女性「それで、その感触としてどう思ったとか聞いても大丈夫ですか?」
私「単純に言えば、合致する部分の理由について日ユ同祖論への反証説明が思いつかないなぁって思います。」
女性「えぇ!本気ですか?」
私「偶然の一致ってのは無理ないですか?」
女性「えぇホントに!?本当に言ってますよね?」
私「発祥が鎌倉時代って事で、旧約聖書と比較すれば新しいって部分にちょっと引っ掛かったんですけど、だとしても、じゃあ何で諏訪大社でそれが行われる事になったのか、ってのがわかりませんし。」
女性「そうですか!そう思われますか!?」
私「私自身が知ってる限りでは、って事ですよ?例えば初めて行うに至った過程で、渡来人が既に行き来してた鎌倉時代なので、原始キリスト教の影響で何かの知識があった人がいたから旧約聖書の内容を知っていたとしても、だからって何で諏訪で始める必要があったのか、ってのは意味わからないじゃないですか。」
というところで、毎度引っ張って申し訳ないですが、字数制限もあるので続きは次回。